芥川家旧居跡の山茶花は、昨日の台風にも負けず立派に実を着けていました。とはいえ老木のため北区では接木をして種の保存に努めています。暑い中作業してくださった植木屋さんに感謝。職員は周囲の雑草取りで汗だく(´Д`υ)。
— 田端文士村記念館 (@bunshimura) September 10, 2019
この山茶花は龍之介死後、遺族によって植えられたもの。 pic.twitter.com/3DO03d7ltQ
芥川家旧居跡の山茶花は、昨日の台風にも負けず立派に実を着けていました。とはいえ老木のため北区では接木をして種の保存に努めています。暑い中作業してくださった植木屋さんに感謝。職員は周囲の雑草取りで汗だく(´Д`υ)。
— 田端文士村記念館 (@bunshimura) September 10, 2019
この山茶花は龍之介死後、遺族によって植えられたもの。 pic.twitter.com/3DO03d7ltQ
室生犀星の詩「本」。季節違いだけれど、美しい詩はいつ読んでも美しいです。そして「新しい頁をきりはなつ」(アンカットのこと)と書いた時、意識せずとも犀星は初版本を思い描いたに違いありません。それは、あるいは盟友・萩原朔太郎の詩集だったのでしょうか。この詩に心から共感できて幸せです。 pic.twitter.com/GCc0RBP02L
— 初版道 (@signbonbon) September 9, 2019
台風15号通過後、屋根に掛かる百日紅の花々はだいたい散って道路側に多く落下していた。すぐ清掃、自転車に乗った広域町内会理事が、「おはようございます。だいじょうぶでしたか?」と挨拶してきた。「はい、だいじょうぶでした」と応じた。昨年こちらも組長を担当しているので、気楽に声をかけ合える。
しばらくして2F窓を開けると、何と1F屋根のか、それとも2F屋根のか、樋が吹き飛ばされていた。だいじょうぶではなかったのか。しかしルーフバルコニーには水が溜まっていない。安堵した。あれほどの暴風雨でも溜まらなかったのなら、このまま放置とするか。
【追記】
いま(午後3:20)ルーフバルコニーに降りて、事態が理解できた。ルーフバルコニーの周囲の木の壁に被さっていた、トタンの覆いが釘ごと外れて飛ばされていたのであった。幸い道路側には飛んでいないようで、胸を撫で下ろした。いわば歯の被せ物が剥がれしまったようなものだ。業者に処置してもらわないと、いずれ木が腐食してまずいことになるだろう。しかし消費税アップ後に回そう、それの方が丁寧に仕事してくれるだろう。ということで〈放置プレイ〉。
こちらも現役であったら、こういうことになっていたかも。最寄駅だ!
津田沼駅私的トレンド1位おめでとう
— うーたん (@s3_fbr) September 9, 2019
並びすぎでしょ狂気だわ pic.twitter.com/orv7cyQFgS
【豊洲市場】東京新聞が豊洲市場の良い記事を書いている。記事を書いた石原真樹記者の名前も覚えておく。/東京新聞:冷え冷え 魚も人も快適 豊洲市場、初めての夏:東京(TOKYO Web) https://t.co/HmUe0fH04L
— 井上リサ (@JPN_LISA) August 11, 2019
東京新聞社会部といえば、こんな記者ばかりかと思っていたが。
日本では頻繁に行われるぶら下がりも欧米ではまず見られない光景ですし、一人の記者が一年以上同じ事柄を自分の演説パフォーマンス交えて質問することもあり得ません。鋭い質問はあらゆる分野の豊富な知識によって成し得るもので、ただの持論のパフォーマンスは同じ日本人として恥ずかしく思います https://t.co/ozc0y17aJY
— marion_ko (@marionko_) September 7, 2019
放射能デマを流し続けた新聞記者が言うと味わい深い https://t.co/Eu2In3CLkb
— kikumaco(8/6,9大阪) (@kikumaco) September 8, 2019
こういう人の物言いがどんどん国粋主義に突進していくの、戦後70年を経てようやく正体が見えてきた感がある。 https://t.co/cxFcZfaJGk
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) August 28, 2019
「77歳を越えたらこの世にいない」とまるで死期を悟っていたかのように話すラジオ深夜便の驚きのインタビュー。それ以上に驚くべきなのは自分の老化現象を「失名症」や「過去ねつ造症」と命名していく姿。リヒテンベルクを訳した池内は生涯ユーモアを持った観察者だった🐪https://t.co/lHIHIetIjT
— 機関精神史 (@Neo_Mannerism) September 6, 2019
昨日9/3(火)、午後からの雨天にて、チケット購入済みの第40回記念「台東薪能」は、浅草寺境内ではなく、場所を移して、浅草公会堂にて催された。第33回の時と同じ運びとは相成った。自然のかがり火はなく、舞台両側下に人工の紅い〈かがり火〉が〈燃え〉続けてそれらしき雰囲気は醸し出していた。頭を切り替えて、舞台に集中。替えの座席が通路側端の席となり、閉所恐怖症のこちらとしてはこれは僥倖であった。
プログラムは多彩であるが、わが目的は、能の舞台観劇経験少なくない身ながら初見の、世阿弥作『敦盛』鑑賞であった。シテは、都立上野高校→東京藝術大学の学歴をもつ坂 真太郎。『日本古典文学全集・謡曲集(1)』(小学館)収録の『敦盛』の詞章を事前に熟読して臨んだので、その展開について戸惑うところは微塵もなかった。
後シテの敦盛が舞う場面の美しさとそこに漂う儚さに、ボーッとしたり酔わされたりしているのみ。舞の終わり近くで、(亡霊の)敦盛が刀を床に投げ捨てるところがあったが、この所作は本の詞章では予想していなかったこと。敦盛が戦場で熊谷次郎直実(いまは出家して蓮生法師)に惨殺された事実を象徴しているのか。一瞬驚いた場面であった。
休憩後の狂言『末広(すえひろがり)』も面白く、半能『石橋(しゃっきょう)』は、ワキ寂昭法師(森 常好)の出番は始めだけで、いきなり後シテの白獅子(観世喜正)が、ツレの赤獅子(奥川恒治)と共に、みごとな紅白の牡丹を前に舞戯れる舞台で、視覚的に愉しめた。
『岩波講座 能・狂言 Ⅲ能の作者と作品』の、西野春雄「世阿弥の能」によれば、「世阿弥はそれぞれの作品に主題を盛り込む」とし、『敦盛』については、「わずか16歳で戦死した敦盛への同情と、荒武者の熊谷直実が念仏の生活に入ったことを賞讃する」作品と解説している。なるほど。
5時開場だっため、夕食を摂っていなかった。会場が変わったので、売店も休業。空腹のまま敦盛の亡霊と対したことになる。川松でうな重でも食べたかったが、浅草は9時には店は閉まる。押上経由の京成線を利用して京成船橋まで行き、JR駅近くの栄華光本店で肉野菜炒めを食べた。ここの肉野菜炒めは気に入っている。期待通りだった。