カフカの「こま」

 http://blog.livedoor.jp/hojo9m2/tag/『天來の獨樂』(「井口時男の方丈の一室:『天來の獨樂』」)
 文藝評論家にして俳人井口時男氏のブログで、カフカの〈掌の小説〉、「こま」のことを知りさっそく『カフカ短篇集』(池内紀編訳・岩波文庫)収録の同作品を読む。「いつも子供の遊んでいるあたりをうろついていた」さる哲学者は、子供たちが回しているこまをひっつかんで「大満悦」。しかしすぐに「さっさとこまを放り出して行ってしまう」。
……つまり彼は信じていたのだ。たとえば、回転しているこまのようなささやかなものを認識すれば、大いなるものを認識したのと同じである。彼は大問題とはかかわらなかった。不経済に思えたからである。ほんのちょっとしたささやかなものでも、それを確実に認識すれば、すべてを認識したにひとしい。だからこそ、ひたすら回るこまを追っかけていた。こま回しが始まる瞬間、彼は希望にあふれている。こんどこそ成功するのだ。こまが回りだし、息せき切って追いかけている間に希望は確信に変化した。だが、たわいのない木のおもちゃを手にしたとたん、気分が悪くなった。……
「これはまるで俳句のことではないか?」と、井口時男氏は、処女句集『天來の獨樂』上梓の話に関わらせて述べている。近代西洋の〈本格小説〉に憧れ続ける姿勢について否定はしないが、創作において小さな事象の中に宇宙を視る、いわば〈俳句的精神〉の伝統もだいじにしたいものである。

カフカ短篇集 (岩波文庫)

カフカ短篇集 (岩波文庫)