〈君側の奸〉を討つ左翼〈皇道派〉

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 (PCを替えたので実名をボカせない

 万馬券を的中できたので、東京銀座のスパンアートギャラリーに欲しかった写真集を注文、すぐに昨日届いた。この画廊の主種村品麻さんは、周知のように怪人種村季弘の子息である。かつてはよく出向いていたが、変形性膝関節症を罹患してからは東京に出るのもひと苦労となり、ご無沙汰している。

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  『種村季弘 対談集・天使と怪物』(青土社)所収の池内紀(おさむ)氏との対談「華麗なる没落」で、そのかみウィーンの町には「そこで小説書いたり、詩を書いたり、トランプやチェスをしたり、あるいは編み物をしたり」していたカフェがいたるところにあったし、今もある、と対談の主が述べている。

池内:プライベートでも公の空間でもない、ちょうどその中間なんですね。そこでごく親密な個人的な話もできるわけですが、その個人的な話もプライベートなものではなくて、カフェでするための話という感じでね。半ばフィクションのような部分もある。

種村:演技的なんですね。

池内:ええ演技的なんです。

種村:それでカフェに集まる人間自身が、非常に矛盾しているんですね。「カフェ・ツェントラルのセオリー」を書いたアルフレート・ポルガーがいってます。ここでは人間に敵対的な奴が、同時に人間が大好きなんだ。カフェ・ツェントラルとは、カフェではなくて、一つの世界観である。しかし、それは世界を見ないための世界観だ(笑)。で、そこに来る人間の話は、みんな人間憎悪の話ばかりなんだけれど、その憎んでる人間がいないと話にならないという、アイロニーの上に成立している社交性だというんですね。まあジャーナリストは、今でもみんなそれでメシを食っているんだけどね(笑)。

                   ……pp.250~251

 

  左翼系メディアおよび言論界隈では、〈アベ〉を平和主義の上皇陛下・今上天皇陛下に対しての〈君側の奸〉として糾弾する主張も出てきているようだが、「その憎んでいる人間がいないと話にならないという」カフェでの悪口雑言ほどに止めていただきたいものである。左翼〈皇道派〉の台頭があるとすれば、「喜劇として」のみ扱われるべきだろう。