あえて無力なカント平和論を読む

 ドイツ文学者池内紀(おさむ)氏翻訳、カントの『永遠平和のために』(集英社)は、読みやすく面白い。氏の「解説」によれば、そもそも200年以上前のドイツ語であること、哲学者特有の言い回し、当局の検閲を配慮した意味の曖昧な文章など、翻訳には困難があったそうである。古い文体は捨て、学問的措辞および用語にこだわらず、検閲官用の構文を無視し、「原文の伝えようとしているところを、なるたけ簡明な日本語で再現した」試みは、その成果をたどるだけでも、みごとに成功していると判断できる。アフォリズム集といえる「補説」と「付録」は抄訳されている。「補説二」中に、
……国家権力の代理人である法律家よりも哲学者に優位を認めよ、というのではない。たまには哲学者のいうことに耳を傾けよ、というだけのこと。……
 けっこうカントもカワイイのである。むろんカントの平和論は単純なものではなく、『実践理性批判』や『道徳形而上学原論』での考察が根底にあるだろう。「補説2」で、さり気なく記している。
……「純粋な実践理性と正義をめざしていれば、おのずと永遠平和の目的が実現する」といった考え方、これが政治原理として成り立つのは、モラルの特性と関係している。モラルは具体的な目的性をもたないときにこそ、モラルの目ざすところに近づいていくという奇特な性格を持つからだ。……
 しかし現実の認識は冷徹で、高い理想と併せて学ぶことができるのだ。常備軍が廃止されなければならないとし、
……なぜなら、常備軍はつねに武装して出撃の準備をととのえており、それによって、たえず他国を戦争の脅威にさらしている。おのずと、どの国もかぎりなく軍事力を競って軍事費が増大の一途をたどり、ついには平和を維持するのが短期の戦争以上に重荷となり、常備軍そのものが先制攻撃をしかける原因になってしまう。(第一章)
 国家としてまとまっている民族は、個々の人間と同じで、自然な状態では(つまり、外的な法に縛られていないとき)、隣り合っているだけで、すでに傷つけ合っている。(第二章)……
「地球上の文明国」の〈植民地主義〉的侵出に対して批判したところで、日本の対応を評価している件は興味深い。
……この点、中国と日本は来訪者をよく見定めて賢明な対処をした。中国は来航は認めても入国は認めなかった。日本は入国をヨーロッパの民のうちの一つであるオランダ人に限り、しかも囚人のように扱って自国民との交わりから閉め出した。(第二章)……
「法が最終的に主権をもつことによって」「活気ある競争のなかの均衡」としての平和状態を確保維持しようというのが、カントの考えであり願いである。写真家とのコラボレーションということで、同じ文章を載せてページ数を増やしているのは、本=商品としての体裁を整える必要もあろうが、いささか問題である。

永遠平和のために

永遠平和のために

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、ヤブラン(薮蘭)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆