物語のなかの小道具の存在

 

 バルザックの中篇『あら皮』は、骨董屋で売られていたあら皮が、これを手にした所有者の人生を動かしそして破滅させるという物語、好きな作品である。ここでは、あら皮がまるで「利己的な遺伝子」のように所有者の人生を支配するが、そこまで主役級のはたらきをせずとも、物語(小説・映画・演劇)のなかで小物(小道具)が存在感をそれとなく示している場合が多いのである。

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映画館と映画へのオマージュということでは、とうぜんジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』がある。成功した映画プロデューサーになった主人公のサルヴァトーレが終幕で、映画のキスシーンばかりを編集したフィルムを観るが、そこには女性同士のものはなかったと記憶する。この接吻のエピソードは、樋口尚文監督がそっと追加したかったのであろう。拍手。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110414/1302760815(「Merci Beaucoup Birkin!」)
 映画パンフレットの記事によれば、第12のエピソードの白いボールは、ロジェ・ヴァディム監督ほかの『世にも怪奇な物語』に出てくるのだとのこと。さっそくこの映画のパンフレットにあたると、第3部(現代篇)「悪魔の首飾り」の小道具と判明。第13での「それは暁というのです。お客さま」とヒナコ=佐伯日菜子が言う台詞は、ゴダール監督『カルメンという名の女』のものだそうだ。後で確かめてみたい。