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▼天井桟敷」の『毛皮のマリー』が1983年6月、PARCO西武劇場で再演された。この年5月に原作者の寺山修司が亡くなって、追悼公演となった。演出は、鈴木完一郎、演出補は原田一樹。「天井桟敷」の若松武が参加している。このとき丸山明宏ではなく、美輪明宏と改姓されている。堂本正樹は、能の『三輪』であれば、「本来の男の三輪の神が女として現れ、しかも女の衣装ではなく、男の装束を着ている」ところから、「この男女両性の複雑を極めた混交は、まことに明宏にふさわしい姓かもしれない」(同公演パンフレット)としている。面白い。
▼地理・歴史に不案内なので詳しくは知らないが、東ローマ帝国、神聖ローマ帝国、ハプスブルク家などの紋章としての歴史をもつ「双頭の鷲」の図柄は、いくつかの東欧近代国家・現代国家の国章(国徽)・国旗に使用されているらしい。
それはそれとして、「双頭の鷲」といえば、ジャン・コクトーの『双頭の鷲』の舞台を思い出す。1968年10月東京渋谷の東横劇場にて、三島由紀夫監修、松浦竹夫演出、丸山明宏(現美輪明宏)主演(王妃エリザベート役)の舞台。最後に階段の上で倒れる王妃エリザベートと、毒がまわって階段を転がり落ちる刺客スタニスラス(中山仁)の悲恋の結末は印象的であった。
▼ジャンコクトー作、三島由紀夫監修、松浦竹夫演出の『双頭の鷲』。1968年10月、東京渋谷の東横劇場での公演。王妃役の丸山明宏について、三島由紀夫は、「王妃役は終始リードする立場に立ち、支配者であり、軍服さえ身にまとうという女武道的要素もあるのが、丸山君には適していると思われる」(同公演パンフレット)と書いている。


▼磯田光一『正統なき異端』(1969年初版 仮面社)に「三島由紀夫と吉本隆明」と題しての討論・座談会記録が載っている。参加者は、小川徹・桶谷秀昭・松田政男・磯田光一の4人。初めの問題提起で、磯田光一が映画『黒蜥蜴』について述べている。
磯田:……あの映画の構造そのものが三島美學の構造とぴったりくっついているという感じがするのです。剥製という考え方は『仮面の告白』の考え方です。つまり人間の中味などは何ものでもなく、表面こそが美しいのだという、これはギリシャ的な肉体観ですね。しかも三島の場合、ギリシャ的なものを現代に再生する時は、あくまでも人工的な操作によらなければいけないということを『鏡子の家』の中などでもいってます。しかも剥製を集めている黒蜥蜴が、自分の信じている剥製を作るという理想主義に破綻を感じ、結局明智という探偵に愛情を持ってしまうわけです。愛情を持つことは、ああいう女ボス的存在にとっては完全な敗北なんですよ。しかも敗北を自ら選んで、明智の幻影を夢見ながら死ぬというあの死に方、これはやはり日本浪曼派につながる何かではありませんか。









































