高校のサッカー試合ではPK戦決着が多い:クロアチアとのドン「チッチ」

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ミレーヌ・ドモンジョ&ジャン・マレー


 ジャン・アレン&ピエール・フーコー脚本、アンドレ・ユヌベル監督の『ファントマ(FANTOMAS)ミサイル大作戦』をニュー東宝で観ている。ここでのジャン・マレーは、新聞記者ファンドールと仮面の怪盗ファントマの二役で、ジャン・コクトー作品でのイメージとは異なるだろう。ファンドールの婚約者エレーヌ役が、ミレーヌ・ドモンジョである。ルイ・ド・フェネス演じるジューブ警部の3人がシリーズの柱。テレビでシリーズ作品が放映されて、これは家族で腹を抱えて観たものだった。

 




 

ジャン・コクトーの芝居

 恥ずかしながらジャン・コクトーが監督として制作した映画7作品いずれも観ていない。コクトー原作の芝居&オペラは観ている。

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コクトー╱マレー』(岩崎力訳、アール・ヴィヴァン編集・発売 1985年)は、ジャン・マレー&ジャン=リュック・タルデュー構想・原案の戯曲がメイン。ジャン・コクトーの言葉と文章から構成された作品で、ジャン・コクトー没後20周年の1983年9/30、ジャン・マレー演出・出演によって初演されている。

 映画は、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『恐るべき子供たち(les enfants terribles)』(1949年)を、1976年に東京のどこかの映画館で観ている。






 

秋薔薇(あきそうび・あきばら)

秋薔薇や彩を尽して艶ならず

                           松根東洋城

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令和の『思い草』4号

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 藤蔭道子編集・発行の月刊『思い草』4号(11/30発行)、野上志乃の掌篇「秋」は、「自分とは真逆の」(真逆の、は感心しないが、それは措いて)何事にも積極的で行動的だった友人が、あるとき電話をかけてきて、デイサービスに行くようになり、生活面でも家族からあれこれ注意され認知症が進んでいるとのこと、自分にも少なからず思いあたることがあり、心が沈んでくる。

 おだやかに過ごしたかった人生の終盤に、こんな摩訶不思議な世界が待っていたとは……。
 窓枠の向こうで、すっかり芥子色になった木蓮の葉が、風に揺れる。
 もうすぐ自分の冬がやって来る。(p.6)

 最後「自分の冬」の「自分の」は余計だろう。ただ「冬がやって来る」で止めればよかった。迎える季節の冬は、みずからの人生における玄冬なのだ、との説明がしたいのだろうが、小説は描写だけ書けばよいのだ。「ああそうですか」で読者はページを閉じてしまう。

 最近のこと、わが友人のI氏からメールが届き、夫人が認知症になり、食事の準備など家事をしているとのこと。調理をしているとき誤って包丁で小指を切ってしまい、病院で何針も縫ったということだった。I氏本人も心臓弁膜症の大きな手術をしたばかりであり、この夫婦の冬を思っていたところであった。

日本、対スペイン戦〈接線〉で勝利!

 

どうしたドイツ

 

東京文京区・六義園の紅葉:金沢・室生犀星記念館の紅葉

 

ジョルジュ・ドン没後30年

 モーリス・ベジャール主宰の「20世紀バレエ団」所属バレエダンサー、ジョルジュ・ドンが亡くなって(1992年11/30没)早30年になる。むろん来日公演での生の舞台を観ているが、代表作『ボレロ』を、長男が利用可能にしてくれた古いレーザーディスクで鑑賞して偲びたいところ。

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悲劇と喜劇:『ルチア』と『天国と地獄』

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 ギリシア悲劇作品の後、アリストファネスアリストパネス)の喜劇『女の平和』を観る番組の組立てでもあるまいが、NISSAY OPERAドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』で涙で目を痛くしたすぐ後に、同じ日生劇場にてNISSAY OPERA提携・東京二期会オペラ劇場、オッフェンバック作曲のオペレッタ『天国と地獄』(11/24)で笑わされるのであった。
 同上演プログラム掲載の小川佐和子北海道大学准教授「歓びと哀しみのオペレッタオッフェンバックから今日まで」によれば、 

 本作は、際限のない欲望とモラルの腐敗という第二帝政期のバブル社会への過激な風刺をいわばカムフラージュするために、ギリシャ神話のパロディとしての外見を装っていた。同時にこれは、いつの世にも似たような時事的構造を見出すことのできる普遍的なパロディともなっている。価値の確立された権威や政治的な抑圧を物笑いの種とする風刺のかたちは今も昔も変わらない。ローカルな歴史性と普遍性の両方を兼ね備えているからこそ、オッフェンバック作品は現代の私たちの心をも揺り動かす。(p.32)

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  第二帝政期のナポレオンⅢ世について、鹿島茂氏の『怪帝ナポレオンⅢ世』(講談社)が断然面白い。「歓びと哀しみのオペレッタ」によれば、『天国と地獄』におけるジュピターに体現されたのは時の支配者ナポレオンⅢ世であるとのこと。


 しかし現代の法治国家においては、政治風刺はそれほど単純な問題ではない。政治権力批判の立場に立ち、そのテーマ性で作品を作っている演出家や映画監督が、権威と権力で出演者をさまざま暴力的に抑圧している場合が多く明らかになっている今日である。公権力のみに向けられた批判あるいは風刺が、必ずしも力を持ち得ない所以である。「オペレッタに正解はない。大切なのは、その舞台に立ち会った私たちが、オペレッタを享受したときの魂のゆらめきを感じ取ることだ」(小川佐和子准教授前掲解説)、なるほど。

 ユリディス役の冨平安希子(ソプラノ)は、いつも見るチラシの写真では〈濃い〉人の印象があったが、今回生舞台で観ると、じつに可愛い人であった。驚いた。

 合唱はひさしぶりにマスク着用なしでよかった。指揮は根本卓也さん。今回はカーテンコールで舞台に上がっていた。惜しみなく拍手。

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 日生劇場館内では、新型コロナ感染予防対策上食事ができないことがわかったので、今回は、JR有楽町駅から日生劇場までの経路途中にある、椿屋珈琲日比谷離れ店にてコーヒー&サンドイッチをいただいた。

 なお日生劇場地下のレストラン、春秋ツギハギはかつて観劇とは無関係の用事の折入ったことがある。懐かしく思い出した。