黒川芽以は、映画『二十六夜待ち』(監督越川道夫)の裸の男優(井浦新)との何度かの情事場面で、最後までブラジャーを外さなかった。非対称性が際立っている。やはり女優は女優であって、一括して俳優とは呼称できない所以である。
二階堂ふみにはたしかな表現力があり、期待できるだろう。
フランス人ユーチューバーCyprienによる court métrage (短編映画)、撮影は東京。本人主演でフランス語はもちろん、フランス語訛りの英語と日本語も聴ける。
— 志村 響 (@hbkindigo) May 31, 2019
日仏混合チームで作ってるからかノスタルジアとエキゾチズムが絶妙に混ざってて、いろんな見方ができて面白い。https://t.co/fe7K9hHfry
5/19(日)、連れ合いの埋骨をする墓地の契約が完了し、その報告ということで埼玉県久喜市の実家を訪れた。長男の車でKくんと一緒に高速利用で運んでもらった。怒涛のゴールデンウィークが終わっていたためか、高速は意外と空いていて渋滞に難儀することもなく到着。紫と白の紫蘭が迎えてくれた。電車とタクシーで次男夫婦も辿り着き合流。姪のYさんが手伝いに来てくれていて、賑やかな集まりとなった。抹茶やテレビ紹介で近年さらに有名になった鰻屋Tの鰻重など、次々に食卓に供され、大満足の宴となった。腹満ちて、広い庭に出、自家農園栽培中のサヤエンドウをみなで摘んだり、昔からたいせつに祀られている石仏たちにお参りしたり、楽しい時間を過ごした。
世帯主の義弟は自営業を継承しながら、趣味で、さいたま市在住の面打ち師に付いてすでに永く面打ちをしている。初期は大らかな神楽面から始めて、いまは素人目でみても趣味の域を超えている力量である。Kくんに猿面、次男嫁に女面が贈られた。二人共、思わぬプレゼントに大いに喜んでいた。
女面は、若女(観世流)か小面(こおもて)かと思われるが、たぶんもっとも若い女面の小面だろう。
岩波講座『能・狂言 Ⅳ能の構造と技法』に、能の演出には「常のキマリ」のほかに、「替エ」の演じかたがあり、その場合には「プログラムに小書キ」として書き出されるとある。面の使用についてもすべて「キマリ」で演じられるわけではないのである。
小書キのようにまとまった演出についてでなくても、キマリの選択はいろいろある。たとえば、観世流の現行謡本(大成版)の装束付ケ(扮装のキマリの表)を見ると天人の面は、若女か小面か泣増(観世流の通称は増)を用いるとなっている。若女は艶麗な女面で観世流で広く用いられる。小面は少女らしいあどけなさを残したもっとも若々しい女面である。泣増は端正でややつめたい感じの女面で、脇能の女神には常にこれを用いる。「羽衣」で以上三種の女面のどれを用いるかは、天人をどう描くかという意図にかかっている。この能は三番目物だからおだやかに優美に演じようというときは、若女を選ぶだろうし、人間界のけがれに染まらない清純な乙女という感じを強調すれば小面であろうし、天界の神々しい仙女というとらえかたなら泣増ということになろう。なお、同じ小面といっても、ふくよかに微笑をたたえた顔の面もあれば、やせ型のさびしげな顔の面もあり、一面ごとに特徴があるので、そのどれを選ぶかにも心を用いることになるのである。シテが役を引き受けると、まず面をなににしようかというところから役づくりを始める人が多いようだ。人物の性格が集約的に表現されるのは面だからであろう。 ( p.33 )
帰路圏央道に入る途中の歩道脇に、金鶏菊が並んで咲いていた。帰路の高速もさほど混んでなく、快適なドライブでわが家に戻ることができた。
藤蔭道子の「さよならの時間」は、文学上のパートナーであった作家葉山修平の、2016年8月19日から病死に至った10日間を書き留めたみずからの日記を公開し、いまの想いを追記したものである。作家の死は、胆石除去手術でのおそらく敗血症性ショックによるのだろう、多臓器不全が死亡原因であったと聞いている。腹腔鏡下での胆石除去手術であったと書かれてあるが、(単独の)腹腔鏡下での胆嚢摘出手術でも死亡事例の発生件数は、統計によれば2016年では、手術件数92,906中、134件で、割合は0.14%である。⦅一般社団法人National Clinical Database(NCD)のデータ⦆。まだ胆嚢を摘出する前の段階での急逝を悲しむのである。
「胆石の症状を黙って胸に抱えながら、それを自らの運命と受け入れ、笑いながら帰らぬ旅へと旅立っていかれた……」と藤蔭道子は述懐するが、これでは高倉健の『唐獅子牡丹』の美学と重なってしまう。篤い文学への志あらばこそ、健康維持に格段の配慮をしていた作家にしては、この病に対してあまりにも無防備であったことが悔やまれる。あるいは頑健に見えて、糖尿病、高血圧症などの合併症を患っていたのだろうか。高齢で合併症があれば腹腔鏡手術にはさらにリスクが伴うようなので、無念の想いは変わらないが納得はできることである。
荻野央の『粒来哲蔵の「射程」』は序論風の短い詩論で、面白く読んだ。詩人と作品への〈射程距離〉もいずれ届くのであろうか。「四国在住の詩人西岡寿美子主催の『二人』」は、「西岡寿美子主宰の『二人』」。
昨日5/24(金)は、いま名古屋で演劇ファンの熱狂的支持を得ている(らしい)天野天街主宰の劇団少年王者館の公演が、新国立劇場・小劇場で実現、舞台を観てきた。いわば東京の伝統・格式を重んじる老舗ホテルで、どんな味の料理を供してくれるのかまったく未知で、しかもローカルな創作料理を出すことに等しい冒険であったろう。新国立劇場演劇藝術監督の小川絵梨子さんが同劇団のファンで、招聘したとのこと。試みに敬意を表したい。
天野: 最初に小学校とか中学校に巡演してくる演劇団体の芝居を観て、すごく恥ずかしいことをやっていると思って。でも大学に入ってから友人が、いわゆるアングラと呼ばれている演劇を始めて、それは僕が思っていた「恥ずかしい演劇」とは全然違い、とても面白かったしワクワクした。わけがわからないことをやっていたから。
小川:わかります!
天野:大学時代は映画を撮りたいと思ってたんだけど、そういう演劇に出会い、中から観察するに及んでたくさんいろいろ可能性を感じたことが、ずっと続けている理由だと思います。でもなかなかうまくいかなくて、「次はもっとうまくいく」「だめだ」「この次は、きっと……」「だめだ」という繰り返しで今に至っちゃった(笑)。
小川:正解がないですから。
天野:そうそう。僕はわけのわからないことをやろうとしいて(笑)。わけがわかってしまったら何も面白くない。「わけとは一体なんだ?」と問いかけたり。「わけがわからないけど面白い」と感じてくださったらうれしいです。
(公演プログラムp.28)
観劇の個人的感想は、「わけがわからないけど面白い」ところもあったが、眠い舞台であったということ。始まったと思ったら、一瞬明るくなって、ケータイなどの電源を切れとのアナウンス(それも可笑しくデフォルメされている)が入り、また少し経って同じで、これを何度も繰り返す。終わり近くでは、本日の公演はこれで終了ですのアナウンスが何度も繰り返し入って進行。寺山修司が昔、演劇空間と日常空間の境界線を壊すため、舞台から観客席に飛び出したり、街中に進出したりした仕掛けがあったが、ここでは時間的に錯乱を生み出そうとしている。しつこい印象。「あ、やってるな」としか思わない。物語の中のエピソード一つ一つも繰り返しである。昔渋谷のパルコ劇場で夜を徹して上演された、ヤン・ファーブルの『劇的狂気の力』を思い出した。繰り返しのあまりの退屈さで、かの蜷川幸雄が30分で退席したという有名な(?)伝説がある。
ことばの遊びは面白かった。ミンミンゼミが鳴いているとの場面では、プロジェクションマッピング風の(じつは)アナログの映像投影で、「mean mean」の文字が舞台全体に映される。無意味のミンミンゼミの鳴き声なのだ。ヒグラシの場合は、今度は「悲悲」と流れる。「悲悲」はむろんカナカナだ。あるいは悲暮らしとも掛けているか。万事がこんな調子で、思いっきり戯れている。
令和の時代に引っ掛けて、「霊話」の物語を展開させる。アラジンの魔法のランプや、神(紙)芝居の語りで黄金仮面などが登場したところなど、懐かしく愉しい。昭和天皇の玉音放送も出てくるし、令和事変のことばも出てくる。昨今メディアで散見する、いまは戦前とそっくりであるとの政治主義的メッセージではなく、この世界の〈永劫回帰〉的な構造を提示したにすぎない。
目を覚まされるのは、群舞の場面。失礼ながら男優・女優みな決して美形とは言えないが、音楽の効果もあり美しくとても興奮を呼ぶダンスである。どこかで観たことがあるような、ある不思議な魅力が充満していた。
『G-W-G』03号は、「天皇/制と文学」を特集している。W-G-WならぬG-W-Gつまり負の記号(minus)としての貨幣の物神性を誌名としているのであるから、資本主義への根源的批判を前提として、連関して存在としての天皇と制度としての天皇制を/で〈連結〉させて、そこにおける文学を論じている。個人的には、絓(すが)秀実氏の「自由と民主主義! われらコソ泥たち」が面白く、議論成立の根拠としているフロイトの「トーテムとタブー」がたとえ歴史的事実に関する分析ではないとしつつも、どうであるのかとの疑問が残るが、刺激的である。いま座談会の『浅利慶太と「天皇/制」』を読んでいるところ。ジャン・ジロドゥ研究家の間瀬幸江さんが参加していて、大いに勉強になる。劇文学軽視ないし無視の文藝批評誌など一流とは言えまい。
なぜ村上春樹を吉本御大から末端の群小自立派までが称揚するのか、彼らが20cアメリカ小説愛読していたわけあるまいし、単に転向の合理化というだけでないこと、少なくとも69年の早稲田闘争までは遡らざるを得ないこと、mixiの議論で蝕知す。しかし、その解明を私ができるのか。
— 猫飛ニャン助 (@suga94491396) April 28, 2019
『脈』101号は本日届いたばかり。村上一郎の「未発表日記」と論考「学生運動の現象学」が掲載されている。特集の勝連敏男という詩人の名は初めて知った。
今年になって降水量が多いと1F屋根横のスペースに水が溜まり、ちょっとしたプールのようになっていた。このところ落ち葉やらゴミやらの清掃を怠っていたため、排水孔が機能せず水を湛えてしまうのであった。天気予報では、本日相当の雨が降るとのこと、昨日意を決して2Fの部屋にミニ脚立を設置し、勇躍(?)屋根に降りて、屋根横のスペースを清掃し、詰まっていた排水孔のゴミを完全に取り除いた。本来大した作業ではないのだが、変形性膝関節症の身であれば、下の屋根に降りる動作じたいがなかなか厄介なのである。なんとか作業完了。
この季節にしては厳しい風雨の去った後、雨戸をあけて屋根横のスペースを眺めると、なんと雨水は溜まっていなかった。感激。しかし昨日は、この作業の後、ダイエーモリシア津田沼店・イオンフードスタイルまで買い物に行って帰って来たところ、身体的疲労は極限でぐったりしてしまった。たぶん、5/19(日)のオークスで、極めて稀に3000円もの馬券投票の大勝負に出て、外してしまったショックが尾を引いていたかと思われる。