『風の道』第11号発刊

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 藤蔭道子の「さよならの時間」は、文学上のパートナーであった作家葉山修平の、2016年8月19日から病死に至った10日間を書き留めたみずからの日記を公開し、いまの想いを追記したものである。作家の死は、胆石除去手術でのおそらく敗血症性ショックによるのだろう、多臓器不全が死亡原因であったと聞いている。腹腔鏡下での胆石除去手術であったと書かれてあるが、(単独の)腹腔鏡下での胆嚢摘出手術でも死亡事例の発生件数は、統計によれば2016年では、手術件数92,906中、134件で、割合は0.14%である。⦅一般社団法人National Clinical Database(NCD)のデータ⦆。まだ胆嚢を摘出する前の段階での急逝を悲しむのである。

「胆石の症状を黙って胸に抱えながら、それを自らの運命と受け入れ、笑いながら帰らぬ旅へと旅立っていかれた……」と藤蔭道子は述懐するが、これでは高倉健の『唐獅子牡丹』の美学と重なってしまう。篤い文学への志あらばこそ、健康維持に格段の配慮をしていた作家にしては、この病に対してあまりにも無防備であったことが悔やまれる。あるいは頑健に見えて、糖尿病、高血圧症などの合併症を患っていたのだろうか。高齢で合併症があれば腹腔鏡手術にはさらにリスクが伴うようなので、無念の想いは変わらないが納得はできることである。

 荻野央の『粒来哲蔵の「射程」』は序論風の短い詩論で、面白く読んだ。詩人と作品への〈射程距離〉もいずれ届くのであろうか。「四国在住の詩人西岡寿美子主催の『二人』」は、「西岡寿美子主宰の『二人』」。