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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018071902000160.html
浅利慶太演出、劇団四季公演の舞台はけっこう観ているかもしれない。ただし近年のミュージカル作品はまったく観ていない。演出家浅利慶太といえば、ジャン・ジロドゥ、ジャン・アヌイ、そして古典劇のラシーヌなどのフランス演劇の紹介の仕事が出発点である。酔わせる役者の美しい声の台詞に魅力があった。チェーホフの『櫻の園』と『かもめ』の舞台を、ルーマニア出身のアンドレイ・シェルバンに招聘・演出させた企画・制作の営為も高く評価されるべきで、ありがたいことであった。ご冥福を祈りたい。※ ◎は演劇史に残る名舞台といえるだろう。
◯ジャン・ジロドゥ作、安堂信也訳『ジークフリート』1964年9月東京・砂防会館ホールにて。「おそらく、二十世紀のフランス人のなかでジロドゥほどドイツを深く理解し、愛し得た人はいないのではないだろうか。ジロドゥは、ドイツを愛することによってフランスを理解し、フランスを愛することによってドイツをより深く理解した人なのである。」(「雑感」浅利慶太:公演プログラム)
◯ジャン・ジロドゥ作、諏訪正訳『トロイ戦争は起らないだろう』1965年2月第一生命ホールにて。「戦争は、人間が己れのなかにある弱点と愚かしさを見分けることが出来なくなった時、宿命によってもたらされる罰なのだという比喩を、私たちは単なる言葉の遊びとしてはうけとれない。戦争を最後に防ぎとめるのは人間の意志と良心であり、それ以外のものではない。」(「平和への願いをこめて」浅利慶太:公演プログラム)
◯ジャン・ポール・サルトル作、宮島春彦訳『悪魔と神』1965年10月日生劇場にて。「私たちはサルトルの大作を舞台にかけるという本来の目的とともに、技術上のある目的をもって稽古を進めた。/それは歌舞伎の俳優(※尾上松緑)が現代劇を演じる場合、ことに翻訳劇を演じる場合、演技技法の混合が避けられなかった。つまり、平たく云ってしまうと、歌舞伎の芸の味が出てしまうということである。この問題はそのつど多くの批評家から指摘されているし、演出家と主演者を悩ませた壁である。不遜なようだがこの壁を少しでもくずそうとしたのが私たちの目的だった。」(『「悪魔と神」の初日を前にして』浅利慶太:公演プログラム)
◎ラシーヌ作、宮島春彦訳『アンドロマック』1966年5月日生劇場にて。「私はまた、この「アンドロマック」が、未来の演劇に無限の可能性をあたえるだろう、若く、実力のある俳優たちによって演じられることを誇りに思っている。」(「ラシーヌ雑感」浅利慶太:公演プログラム)
◯ドストエフスキー作、ジャック・コポー&ジャック・クルエ脚色、宮島春彦訳『カラマゾフの兄弟』1967年2月日生劇場にて。「表現様式の多様性というのはもちろんある。文学における文体(スタイル)と同じように、演劇においてもスタイルはまず決定的に重要なものである。だが、スタイルの多様性をもって演劇にさまざまな形―例えば○○演劇、××演劇というものが存在すると考えるのは滑稽である。」(「演技雑感」浅利慶太:公演プログラム)
◯ロックオペラ『イエス・キリスト=スーパースター』1967年6・7月中野サンプラザホールにて。
◯ジャン・アヌイ作、諏訪正訳『アンチゴーヌ』1967年7月日生劇場にて。『「アンチゴーヌ」は独軍占領下のパリで初演された。その成功はレジスタンスで死んでいった青年たちへの沈鐘のようにパリ全市にひろがったという。この作品をいやがうえにも感動的に見せる時代背景がそこにはあった。/社会的背景を前提においてあらゆる芝居の成り立ちを考えようとするのは必ずしも正しい見方だとは思わない。だが芝居の一つの味わい方ではある。この芝居はそういう観客も楽しませるかも知れない。』(『「アンチゴーヌ」雑感』浅利慶太:公演プログラム)
◎アントン・チェーホフ作、倉橋健訳『櫻の園』1978年7月日生劇場にて。アンドレイ・シェルバン演出。「こどもたちの成長にたとえるならば、日本の、新劇運動はようやく二歳になろうとしているといえましょう。例の、這えば立て、立てば歩め、というようやく歩める段階に達したところでありましょう。日本の新劇は、いかにも大正教養主義であった、ぼくらはもう少し芝居らしいものにするんだ、まあ、そんなつもりで演劇運動をつづけております。」(「しらしらと明けゆく『櫻の園』」浅利慶太:公演プログラム)
◎ジャン・アヌイ作、宮島春彦訳『ひばり』1978年9・10月日生劇場にて。「二十五年たって、やっと劇団四季らしい実りのある舞台ができるという手応えがでてきました。『ひばり』の今度の公演を契機として、劇団四季も舞台の感動を生み出すことのできる集団として、成年に達しつつあるということを感じます。」(インタビュー「劇団四季―これからの課題」浅利慶太:公演プログラム)
◯バーナード・ポメランス作『エレファント・マン』1980年9・10月日生劇場にて。『ところで「エレファント・マン」は、この一群の作品(※「エクウス」「カッコーの巣をこえて」「この生命は誰のもの?」の一連の作品)とは異なったより本質的な問題をかかえているように思います。この作品は、産業革命以来の人類の生き方、産業革命とそれによって導き出された文明が、人類に果して幸福をもたらしたであろうか、という基本的な問いかけをしています。』(「演出浅利慶太は語る」公演プログラム)
◯ピーター・シェーファー作、倉橋健訳『エクウス(馬)』1986年6月青山劇場にて。「これはわたしの推測だけれども、ピーター・シェーファーは、ユダヤ人でありながら唯一絶対の神への懐疑があるのではなかろうか。かといって唯一神を否定し切る勇気があるわけではなく、自らにとって納得のいく唯一神を探し求めているとも考えられる。/その思考、思索の過程で、異教的な神が補助線的役割を果たしているのかもしれない。」(「シェーファー劇には「神」が見え隠れしている」安倍寧:公演プログラム)
◎ブライアン・クラーク作、浅利慶太潤色『この生命は誰のもの?』1987年6月青山劇場にて。「『この生命は誰のもの?』の主人公・早田健の人生は、オイディプスの姿と重ならないでしょうか。健は首から下がまったく動かないという絶望的な宿命にとらえられながら、その中で自分の魂の自由を獲得しようと戦い、生涯を閉じていきます。彼の生き方の中に、人間を超えた宿命と戦っている点で、オイディプスの面影を見る思いがします。と同時に、ベットで寝ているだけではありますが、彼の言語による行動は、観客とともに、生きるということの意味を深く考えさせるものだと思うのです。彼の到達点は生物的な死ですが、彼はその死によって大いなる生の自由を選んだのです。」(『――なぜ今「この生命は誰のもの?」なのか、劇団四季の流れの中で――』浅利慶太:公演プログラム)
◎ティモシイ・ライス台本・詞、アンドリュー・ロイド・ウェバー作曲、ロックオペラ『ジーザス・クライスト スーパースター』1979年1月池袋サンシャイン劇場にて。
◯マイケル・ベット原案・振付、浅利慶太&マイケル・ベネット演出『コーラスライン』1979年9・10月日生劇場にて。「劇作品は論理だけで整理しきれない。もっと多面性を持っている。玉虫色の多面体から発する不思議な光とでもいうか……。作品において語ろうとしたことは作品においてしか語れない。本当は作品全体から受け取ってもらうしかないんです。」(「演出家浅利慶太に聞く」:公演プログラム)
◯アントン・チェーホフ作、諏訪正訳『かもめ』1980年7月日生劇場にて。アンドレイ・シェルバン演出。『「かもめ」はまた、「魔笛」のように、無理に力めばたちまち微妙な均衡が崩れてしまうきわめて音楽的な作品である。音楽のないオペラ、せりふによる音楽とでもいおうか。/すぐれたチェーホフの読み手であり、またオペラの新しい演出家でもあるシェルバンは、かもめの集う湖畔の新しい風景に招待してくれるだろう。それがたのしみだ。』(「『かもめ』の風景」諏訪正:公演プログラム)
◯ヒュー・ホワイトモワ作、吉田美枝訳『ブレイキング・ザ・コード』1980年9・10月銀座セゾン劇場にて。「イギリスが生き残れたのは、連合軍の軍事力もさることながら、対独情報戦に勝てたおかげだという見直し論が、最近ますます高まっています。その一翼をになったのが、難攻不落といわれたナチス最高機密の暗号「エニグマ」を解読したチューリングにほかならない。それは、旧日本帝国の暗号「紫」を解読したアメリカのウイリアム・フリードマンに匹敵する偉業とみなされ、結局、この二人の天才に日独両国はしてやられたのだといわれるほどです。」(「今、イギリスのスパイ物が面白い」新庄哲夫:公演プログラム)
◎三島由紀夫作『鹿鳴館』2006年5月自由劇場にて。「――三島さんの劇作法は(質問)。西洋古典劇の手法をしっかり身につけていらっしゃいますね。特にラシーヌの方法を。」(「演出家への12の質問」浅利慶太:公演プログラム)
【旧HP記載記事】
◆5/10(水)夜に、劇団四季の自由劇場にて、同劇団公演、三島由紀夫作・浅利慶太演出の『鹿鳴館』を観劇した。明治19年11月3日天長節の午前より夜半までの間に起こった事件を、前2幕は影山伯爵の邸内潺湲亭(せんかんてい)、後2幕は鹿鳴館大舞踏場を舞台にして描いた、「筋立ては全くのメロドラマ、セリフは全くの知的様式化、という点に狙いがある」(三島由紀夫)演劇である。4幕の前半と後半とで場所が移動しているので、完全な「三一致」の舞台にはなっていないが、明らかに西洋古典悲劇の様式に則っている。迂闊にもこの作品に接するのは今回が初めてであるが、セリフ劇としての緊張感は最後まで保たれていたといえた。
影山伯爵夫人朝子(野村玲子)と、芸妓時代の恋人清原永之輔(広瀬明雄)とが20年ぶりに再会し、互いの誠実を賭けた約束をする。二人の間にできた息子久雄による父清原暗殺を未然に防ぐため、これまで公の場に出なかった朝子が鹿鳴館の舞踏会に出ること、いっぽうの清原は、壮士らを乱入させて鹿鳴館に集い「猿の踊り」をしている政府高官と貴婦人連に冷や水を浴びせ、「外国人に肝っ玉の据った日本人もゐるぞといふところを見せて」やる計画を中止することを互いに誓うのである。朝子には、久雄の養育をかつて清原に任せてしまった、清原には、異母兄弟たちより冷たい育て方をしたことについてそれぞれ負い目があった。久雄には、侯爵の娘顕子という恋人がいて、公爵夫人から二人の逃避行を手助けしてくれと、朝子は頼まれていた。このあたりまったくメロドラマの筋立てだ。
浅利演出は、美しい舞台装置のなかで登場人物の動きを大仰にはさせない。あくまでも「磨き上げられたセリフが宝石の礫のように飛び交ってきらめく」(野口武彦氏)舞台が目ざされている。影山伯爵(日下武史)の謀で誤って久雄を殺してしまい、呆然と鹿鳴館を立ち去る清原を追った暗殺者飛田(血の匂いが大好きな男)のピストルの音が聞こえ、
朝子:おや、ピストルの音が。
影山:耳のせゐだよ。それとも花火だ。さうだ。打ち上げそこねたお祝ひの花火だ。
という第4幕最後のセリフまで、まさに名曲の演奏のように、連なるみごとなセリフに酔わされた。
原作のことばにあたってこの夜の陶酔をもう一度味わってみた。とくに印象に残ったセリフは次のところか。(席は、1階3列、中央1・2列席は外してあったので、今回最前列。セリフ劇にはふさわしい場所であった。)
顕子:でもお母様、悲しい気持の人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて? 幸福な人には景色なんか要らないんです。(第1幕)
清原:……少し大言壮語をしますよ。私には激しい夏や厳しい冬だけがふさわしいので、こんなうららかな小春日和は私には毒でしかない。だからこんな日にも私は、身を灼く夏や凍てついた冬を、自分の身内に用意しておく必要がある。自由とはさういふものだ。そしてこの小春日和にだまされて居眠りをしてゐる人たちの目をさましてやるのだ。(第2幕)
清原:私の中にはこの歳になっても、一人のどうにもならない子供が住んでゐるのです。
朝子:その子供を大切になさらなければいけませんわ。女が愛するものも、民衆が愛するものも、猛々しい立派な殿方の中のその汚れのない子供なんですわ。(第2幕)
影山:あなたは私を少しも理解していない。
朝子:理解してをります。申しませうか。あなたにとっては今夜名もない一人の若者が死んで行っただけのことなんです。何事でもありません。革命や戦争に比べたらほんの些細なことにすぎません。あしたになれば忘れておしまひになるでせう。
影山:今あなたの心が喋ってゐる。怒りと嘆きの満ち汐のなかで、あなたの心が喋ってゐる。あなたは心といふものが、自分一人にしか備わってゐないと思ってゐる。
朝子:結婚以来今はじめて、あなたは正直な私をごらんになっていらっしゃるのね。
影山:この結婚はあなたにとっては政治だったと言ふわけだね。(第4幕)
影山:ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦莫迦しさを噛みしめながら、だんだん踊ってこちらへやって来る。鹿鳴館。かういふ欺瞞が日本人をだんだん賢くして行くんだからな。(第4幕)
「夜想♯耽美」(ステュディオ・パラボリカ)の特集「三島由紀夫、死の美学」において、三島と親交のあった高橋睦郎(むつお)氏によれば、「なぜ彼が死を選ばなければならなかったかといえば、僕が思うに、生きているという実感が、どうしようもなく希薄だったからではないでしょうか。存在感の希薄さを抱えていたということです」ということである。とすれば、この作品がいよいよ魅力を放つことになるであろう。(2006年5/12記)