名古屋の〈創作料理〉少年王者館を初観劇

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 昨日5/24(金)は、いま名古屋で演劇ファンの熱狂的支持を得ている(らしい)天野天街主宰の劇団少年王者館の公演が、新国立劇場・小劇場で実現、舞台を観てきた。いわば東京の伝統・格式を重んじる老舗ホテルで、どんな味の料理を供してくれるのかまったく未知で、しかもローカルな創作料理を出すことに等しい冒険であったろう。新国立劇場演劇藝術監督の小川絵梨子さんが同劇団のファンで、招聘したとのこと。試みに敬意を表したい。

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天野: 最初に小学校とか中学校に巡演してくる演劇団体の芝居を観て、すごく恥ずかしいことをやっていると思って。でも大学に入ってから友人が、いわゆるアングラと呼ばれている演劇を始めて、それは僕が思っていた「恥ずかしい演劇」とは全然違い、とても面白かったしワクワクした。わけがわからないことをやっていたから。

小川:わかります!

天野:大学時代は映画を撮りたいと思ってたんだけど、そういう演劇に出会い、中から観察するに及んでたくさんいろいろ可能性を感じたことが、ずっと続けている理由だと思います。でもなかなかうまくいかなくて、「次はもっとうまくいく」「だめだ」「この次は、きっと……」「だめだ」という繰り返しで今に至っちゃった(笑)。

小川:正解がないですから。

天野:そうそう。僕はわけのわからないことをやろうとしいて(笑)。わけがわかってしまったら何も面白くない。「わけとは一体なんだ?」と問いかけたり。「わけがわからないけど面白い」と感じてくださったらうれしいです。

                       (公演プログラムp.28)

 観劇の個人的感想は、「わけがわからないけど面白い」ところもあったが、眠い舞台であったということ。始まったと思ったら、一瞬明るくなって、ケータイなどの電源を切れとのアナウンス(それも可笑しくデフォルメされている)が入り、また少し経って同じで、これを何度も繰り返す。終わり近くでは、本日の公演はこれで終了ですのアナウンスが何度も繰り返し入って進行。寺山修司が昔、演劇空間と日常空間の境界線を壊すため、舞台から観客席に飛び出したり、街中に進出したりした仕掛けがあったが、ここでは時間的に錯乱を生み出そうとしている。しつこい印象。「あ、やってるな」としか思わない。物語の中のエピソード一つ一つも繰り返しである。昔渋谷のパルコ劇場で夜を徹して上演された、ヤン・ファーブルの『劇的狂気の力』を思い出した。繰り返しのあまりの退屈さで、かの蜷川幸雄が30分で退席したという有名な(?)伝説がある。

 ことばの遊びは面白かった。ミンミンゼミが鳴いているとの場面では、プロジェクションマッピング風の(じつは)アナログの映像投影で、「mean mean」の文字が舞台全体に映される。無意味のミンミンゼミの鳴き声なのだ。ヒグラシの場合は、今度は「悲悲」と流れる。「悲悲」はむろんカナカナだ。あるいは悲暮らしとも掛けているか。万事がこんな調子で、思いっきり戯れている。

 令和の時代に引っ掛けて、「霊話」の物語を展開させる。アラジンの魔法のランプや、神(紙)芝居の語りで黄金仮面などが登場したところなど、懐かしく愉しい。昭和天皇玉音放送も出てくるし、令和事変のことばも出てくる。昨今メディアで散見する、いまは戦前とそっくりであるとの政治主義的メッセージではなく、この世界の〈永劫回帰〉的な構造を提示したにすぎない。

 目を覚まされるのは、群舞の場面。失礼ながら男優・女優みな決して美形とは言えないが、音楽の効果もあり美しくとても興奮を呼ぶダンスである。どこかで観たことがあるような、ある不思議な魅力が充満していた。

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