谷崎潤一郎と都市


 病気(腸カタル)で下痢が止まらなかった四女妙子の場合はともかく、ようやくもしくは成り行きで婚約整った三女雪子の下痢が治まらないことを結末でしつこく描くところのみ不可解(?)な、谷崎潤一郎の『細雪』については、擬古的生活に沈湎 (ちんめん)することによって得られる安定感を描いた心境小説との、淺見淵の『「細雪」の世界』というみごとな批評がある。
 http://umi-no-hon.officeblue.jp/home.htm(『作家秦恒平の文学と生活』内「e-literary magazine」中に収録。)
 さて、丸川哲史明治大学准教授の『帝国の亡霊』(青土社)は、巻頭の「はじめに」と「帝都への抵抗」の二論文を読んだのみだが、面白い。
……日本文学の伝統として、「立身出世」ヘの拒否、あるいはそこから脱落したエネルギーが滞留する場としても、文学は機能した。ただし、それが総体的な日本的近代の失敗の認識、あるいは激しい抵抗にまで達していたかという基準では、早急な結論は出せない。日本文学はやはり、一般の型としては「現実逃避」の手段として機能していたと同時に、しかもそれは結局のところ「進歩」を補完する役割を越えなかったと言えよう。
 しかし日本文学がその「進歩」の器の役割をトータルに終えようとしている今日、また(日本)文学そのものが広義における「歴史」の産物であったとするならば、その日本文学は別の何かに、ベンヤミンの言うモナド(歴史を映し出す表象作用)に転生するチャンスにあるのかもしれない。そして私の目論見は、日本的近代の精神地図を、(日本)文学というモナドを通じて引き出すことなのである。……⦅近代日本における「立身出世意識」の変遷については、安田三郎『社会移動の研究』(東大出版会)。⦆
 丸山氏が、日本的近代の精神地図を俯瞰しようとするのは、今日のさまざまな現象に、日本が追求してきた「近代」総体の停滞あるいは終焉の現われを見ているからである。日本的近代とは、アジアの盟主としての「帝国」の完成を意味し、「帝国」は戦後も「腐敗」に無自覚のまま連続していると、氏は捉える。
……今日の日本は、単純な経済ヘゲモニーから言っても、もはやアジアに対して「優等生」でもいられなくなった。その意味からも、日本は現在、まさに衰退の運命を意識せざるを得なくなっている。今必要なことは、その衰退の過程に有効に介入する知的実践の契機を掴むこと、そしてその実践のため再び歴史に参入することである。……
「帝都への抵抗」は、谷崎潤一郎の小説「春琴抄」を考察している。1923年の関東大震災を奇貨とした大規模な復興によって、30年代帝都東京の人口は商都大阪を追い抜いた。帝国政府は、関東圏の私鉄網をほとんど買収し、30年代には、関西・大阪圏の私鉄も国鉄(帝国)へと吸収されていった。これは、天皇を帝国領土の隅々まで「お連れする」課題に応じた政策であったのだ。帝都東京に対して歴史的な優位を誇っていた関西・大阪圏の都市文化が足下を掬われる危機的な時代に、この小説が執筆されている。
春琴抄」は、「鵙(もず)屋春琴伝」の語り直しという形式で成り立ち、会話や描写を間接話法的に「語りのリズム」へと入れ込んで、結果的に心理描写を出来る限り排したエクリチュールになっている。つまり、あえて近代小説のエクリチュールに逆らった作品なのである。盲者である春琴は、西欧近代が創出した内面的人間ではなく、「むしろ、当時の国際都市として富を蓄えた堺に花開いた芸能の昇華としての春琴、あるいは、南から伝わった三線(さんしん)を三味線へと洗練させた都市機能の賜物としての春琴であった」。
……谷崎の手探りの試みは、「盲者」の手探りと重なりながら、眼も眩むような帝国の編成過程の中でむしろ「盲者」となって、徐々に見えなくなりつつある都市を今ここにある見えない都市として浮かび上がらせること、もう一つの伝統文化の「復興」を指し示そうとした痕跡なのである。……

帝国の亡霊―日本文学の精神地図

帝国の亡霊―日本文学の精神地図

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町に咲く、上チューリップ(八重咲きのモンディアル)、下枝垂れ桃。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆