谷崎潤一郎『蘆刈』を読む

谷崎潤一郎全集・第13巻』(中央公論社1967年11月刊)所収の『蘆刈』を読んだ。山城の國乙訓(おとくに)郡の山崎からいにしえ後鳥羽院離宮のあったところに水無瀬宮が建つ摂津の國三島郡水無瀬のあたりは、木津川、宇治川、加茂川の諸川が合流して淀川となって流れている。「わたし」は、「見わたせば山もとかすむ水無瀬川ゆふべは秋となにおもひけむ」と詠んだ後鳥羽院承久の乱以前の典雅な生活を偲びつつ散策し、たまたま入ったうどん屋の亭主から淀川を渡る渡船があることを教えてもらい、亭主の指示通り遊郭のある橋本まで川の真ん中の洲で乗り換えることにする。
 ここで「わたし」と同年輩ぐらいで、「痩せた、小柄な體に和服の着流しで道行きのやうに仕立てたコートを着ている」鳥打帽子の男と邂逅する。ひょうたんから冷酒を注いでくれ謡いも聞かせる。遊藝に通じた人物なのだ。そして彼の父の物語を語り出す。幼いころ父が伏見の巨椋(をぐら)堤をどこまでも彼を連れて歩いて、巨椋の池のあたりの「とある大家の別荘のやうな邸」の周囲を廻って生垣の塀から中を覗く習慣があったと言う。そこではまるで水無瀬離宮での後鳥羽院の宴のような宴が催されていた。その主人であった女性こそ、父の思慕と崇拝の対象、お遊さまであった。あるとき父はまだ子供の彼に、お遊さんとその妹おしづとの3人の奇妙な関係を語って聞かせた。父の妹即ち叔母は、お遊さまの幼なじみであり、あるときお遊さまに魅かれる父に、妹のおしづを嫁にすることを勧める。
……お遊さんとは顔だちが違ってゐたのでござりますけれどもやはりきゃうだいでござりますから何處かにお遊さんをしのばせるやうなところはある、しかし何よりも不満なのはお遊さんの㒵(かお)にあるあの「闌たけ(※臈闌け)た感じ」がない、お遊さんよりずっと位が劣って見える、おしづさんだけを見てゐればさうでもござりませぬけれどもお遊さんとならべましたらお姫さまと腰元ほどのちがひがある、それゆゑもしおしづさんがお遊さんの妹でなかったら問題にならなんだかも知れませぬがお遊さんの妹であるゆゑにお遊さんとおなじ血がその體の中にかよってをりますゆゑに父はおしづさんも好きだったのでござります。……( pp.470~471 )
「あゝいふ人を弟に持ったら自分も嬉しい」とのお遊さんの言葉を伝え聞いて、父はおしづさんとの結婚を決心した。しかしおしづさんは姉のこゝろを察して嫁に来たのであって、父とは契りを交わさず一生涯うわべだけの妻で結構だと泣いた。若くして夫を亡くしたお遊さんと、父とうわべだけの妻おしづさんとの3人の秘密の生活がはじまる。お遊さんは生まれつき芝居気がそなわっていて、「お遊さんの人柄に花やかさをそへ潤ほひをつけてゐた」が、おしづさんにはそのような芝居気は欠けていた、そこに姉妹の違いがあったと父は語っていたと言う。しかしお遊さんの一人息子が肺炎で亡くなり、あまりに妹夫婦との行き来が過剰のお遊さんも、疑惑の視線に晒されて立場を失い、離籍となってしまう。連れ合いに死なれた伏見の造り酒屋の主人がお遊さんを後添いに引き取り、ぢきに飽きてお遊さんを住まわせた巨椋の池の別荘には寄り付かなくなったということ。
……左様々々、その母と申しますのはおしづのことでござりましてわたしくしはおしづの生んだ子なのでござります。父はお遊さんとそんなふうにして別れましてからながいあひだの苦労をおもひまたその妹だといふところにいひしれぬあはれをもよほしましておしづとちぎりをむすびましたのでござります。……( p.491 )

 存命であれば80近い年寄りのはずのお遊さんの十五夜の宴を、今年もこれから見物に行こうとしていると言う男は、「ただそよそよと風が草の葉をわたるばかりで汀にいちめんに生えてゐたあしも見えず」「いつのまにか月のひかりに溶け入るやうにきえてしまった」。シゴト役の前シテ(化身体)・後シテ(霊体)が中入りを挟んで登場する複式夢幻能というより、シゴト役の化身体が即ち霊体で本性を現して消え失せている物語形式は、単式夢幻能あるいは一場型夢幻能であろうか。ウケ役の「わたし」が旅の途中でたまたまある地でシゴト役の霊体と出会うという、「差し掛かり型」の能の形式を採っている。(『岩波講座 能・狂言 Ⅲ』参照)

「谷崎愛」の作家秦恒平氏の『神と玩具との間』(副題=昭和初年の谷崎潤一郎、六興出版1977年初版)は、昭和初年知己の妹尾徤太郎夫妻(のちに徤太郎のみ)宛に送られた、谷崎潤一郎佐藤春夫、千代子夫人、丁未子夫人、松子夫人を主に、ほかに娘鮎子、弟終兵、妹すゑ子らの書簡約160通を丁寧に読み解き、「昭和初年と限っての谷崎潤一郎の文学および人と私生活とにつき」著者の卓抜な推論を展開している。自らを「倚(い)松庵主人」即ち「松」に「倚」る(※「よ」る:よりかかる・たよりにするの意)と称しているところからも、谷崎の根津夫人松子への思慕の尋常ならぬものがあり、著者の論もそこを柱に構成されている。
『蓼喰う蟲』以前に、谷崎潤一郎にとって「女」は、神か玩具かのいずれでしかないと認識されていたのであって、『痴人の愛』のナオミは「神」であり「玩具」であったが、「神と玩具との間」に位置する「妻」としてのナオミを「完全に飼育しそこねた」痛恨の思いに基づいている。
……「女」即ち神か玩具かである以上、「神と玩具との間」に「妻」は位置して、その挟撃に遭って谷崎に於ける「妻」の座も意味も、最初の結婚(大正四年)このかた丁未子夫人との離婚(昭和十年一月)に至るまで、所詮は定まるすべのない宿命を荷っていたのである。……( p.77 ) 
  いったいに、身辺雑記型私小説作家の作品について作者と作中人物を「ほぼ均しなみに眺め」るばかりの作家の伝記的研究では、文学論に資するところが極めて寡いとし、昭和初年の谷崎潤一郎の作品は「作品自体充実しているうえに」、「作者自ら読者に対し大きな謎解きを挑んでいるような趣」があるという。つまり作品と私生活の間に秘密があるということ。『蘆刈』という作品は、「この作に実に私が読み解くまで四十四年間もすべての読者の眼をあざむく慎重かつ巧妙を極めた仕掛けをしているのである」。『蘆刈』の巧妙な仕掛けについては、第四章「倚松庵主人」で詳説している。
蘆刈』は昭和7(1932)年発表の作品であるが、『武州公秘話』の達成のほか、『青春物語』など注目すべき回想やエッセイ数篇が書かれ、「前年につづき創作すこぶる充実の一年」であった。
 谷崎潤一郎の家庭では、「物真似、口真似、流行り言葉が多かった」そうで、これは谷崎潤一郎自身の「芝居気」を示していよう。お遊さまにあって、おしづには欠けていたあの「芝居気」である。「お遊様のこういう人柄、徳、が現実の根津夫人松子の所有であったことは、少くも谷崎の主観に於いて百パーセント妥当する」のであって、妹尾徤太郎宛昭和7年10月18日書簡から窺えるように、「根津清太郎と夫人松子とはすでに他人の状態ないし別居状況に入っていて」、谷崎は丁未子夫人との離婚を成立させ根津夫人松子との結婚、かなわなければ「同棲」を考えるところまで事態は進んでいたのである。
 昭和7年9月2日付け松子宛の書簡(恋文)では、谷崎は「私に取りましては芸術のためのあなた様ではなく、あなた様のための芸術でございます」とまで書き、同年11月8日付けの松子宛書簡では、「目下私は先月号よりのつづきの改造の小説「蘆刈」といふものを書いてをりますがこれは筋は全くちがひますけれども女主人公の人柄は勿体なうごさいます(※ございます)が御寮人様のやうな御方を頭に入れて書いてゐるのでござります」と送っているのである。死後いずれ時が来れば、(書簡の公開でもあれば)『蘆刈』も正しく読まれるだろうと、谷崎潤一郎は「焦らず黙ったままこの世を去って行けた人」だと著者は推理する。なるほど。
……どちらが現でどちらが夢と言えることだろうか。お遊様はあなた様という谷崎の言草にうそ偽りはない。たとえ谷崎以外の人の眼には根津夫人松子がどう尋常ないし凡庸でありえたにせよ、少くも谷崎の主観を刺戟し得た夫人は文字どおりにお遊様と輪郭を共有する「神」のような「玩具」か、「玩具」にも似た「神」的な存在として十二分に跪拝と玩弄に耐えたと言わねばならなぬ。根津夫人松子もまた、谷崎以外の人には尋常かつ常識的な一私人であったことは疑えず、しかも谷崎一人に対しては、敢えてその跪拝と玩弄とにひたすら応じて行ける「芝居気」を備えていた。……( p.302 )
 わが所蔵の『谷崎潤一郎全集』(中央公論社)では、たとえば、「お遊さんのやうな人」は「えいえうえいぐわ(※栄耀栄華)をしてくらすのがいちばん似つかはしくもあり又それができる人」とそのまま表記されているが、創業130周年記念出版、中央公論新社の新全集はどうなっているのだろうか? 
 http://www.chuko.co.jp/special/tanizaki_memorial/zenshu.html(「谷崎潤一郎メモリアルイヤー:中央公論新社」)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20110719/1311046389(「東京神楽坂を歩く・『痴人の愛』:2011年7/19 」)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20110919/1316407898(『「人魚の嘆き」:2011年9/19 』)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20111220/1324357487(「〈変質者〉谷崎潤一郎:2011年12/20 」)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20120410/1334040816(「谷崎潤一郎と都市:2012年4/10 」)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20130812/1376284767(「マクバーニー演出『春琴』観劇:2013年8/12 」)
 http://simmel20.hatenablog.com//20130924/1380022782(「刺青について:2013年9/24 」)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20140909/1410263300(「谷崎潤一郎細雪』をめぐって:2014年9/9 」)
 http://simmel20.hatenablog.com/entry/20150421/1429602544(「『鮫人(こうじん)』の浅草オペラ観:2015年4/21 」)

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130308/1362732050(「1930年代の半グレ=浅草紅團:2013年3/8 」)