秦恒平『親指のマリア』(筑摩書房)

切支丹屋敷と宣教師シドッチ神父 | 東京坂道ゆるラン
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 東京日野市の古書店から、秦恒平『親指のマリア』(筑摩書房・1990年12月初版)を取り寄せた。さっそく読み始める。祈りの行為に挟んで、食事と排泄という形而下的なところを丁寧に描写していることに驚嘆した。小説の力である。長崎から江戸へ送られ、牢獄に入れられている宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチの前に食事が運ばれる場面。
……ためらいのない身ごなしで女は用意の箱の蓋を、わざと寝床のうえに仰向けると、膳の代りにそれへ手ぎわよく食べものを出して並べた。焼きぐあいはともかくとして、焦げめの香ったパンがあった。茶はうっすらまだ湯気をたてて、木の椀に七分目もあった。一目で彼は見当がついた小麦の団子を醤油とわずかな油味で、小魚や大根、葱に煮合せたすいとんの鉢も、見るからに熱そうだ。二枚の小皿に焼塩と、たぶん酢が、少々添えてある。……(p10)
……土間廊下が檻の三室を大きくめぐっていて、かねての心配りか小便箱と、蓋つきの持ち運びもきく木の便器が、彼の牢からはかげになった西の隅に仰向けてあった。どこかしことなく掃き清めてあった。しろい空気だけが冬の匂いをさせていた。長崎網場の牢獄では言い尽くせないほど、なにもかも悪臭にまみれていたのに。
 手桶の水でいきなり手を、ついでに顔もざぶざぶ洗った。水は冷えきっていたが身内に深い安堵が湧いていた。……(p.16)
 さて、新井白石とシドッチ神父の出会いはどう描かれるのであろうか。じっくり読み進めたいものである。