デカルトの「理性的自我」はそうかんたんではない

simmel20.hatenablog.com▼ 近代に入ってデカルトが「近代的自我」を発見したとされるが、著者はこの「常識」に疑問をぶつける。
『しかし、彼の言う近代的自我、理性としての私というのは、神的理性の出張所のような私にほかなりません。プラトンが「イデア」と呼び、アリストテレスが「純粋形相」と呼び、キリスト教神学が「神」と呼んだ超自然的原理の出張所のようなものが、人間のうちに設定されたといってよいかもしれません。一般に「近代的自我」といえば、そうした神的なものから解放され、そうしたものから自立した自我ということのはずですが、デカルトの言う「私」はそんなものではないのです。』
 その「神的理性」を退陣させたのがカントというわけだ。そこに近代哲学が始まる。カントは、「物自体に由来する材料(感覚)を、ある形式を通して受け容れ、受け容れた材料を一定の形式(思考の枠組)に従って互いに結びつけ整理することによってはじめて人間の間尺に合った世界」としての「現象界」を認識するとし、これは「物自体の世界」とは区別される。▼

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▼『神を哲学した中世』は、中世神学と近代哲学との連続性と非連続性、および中世神学の多様性について学ぶことができる。前者に関しては例えば、
……そのような訳で、日本人が「自由意志」や「ペルソナ」の意味を明瞭に意識できないのは、無理も無いのである。わたしたちには、感覚レベルの「欲求」や「感情」は理解できても、理性の「主観的欲求」や理性の「主観的情動」は、矛盾して聞こえる。しかし、この理性の情や理性の欲求を理解できないと、理性の個別的性格を示している「ペルソナ」や「人格」の意味を把握できない。目に見えない個別の顔の違いは、情の違いとして現れるからである。目に見えない顔(精神上の顔)が客観的で理性的考察しかもたず、情をもたないとしたら、わたしたちには区別のしようがない。(略)十七世紀のデカルトが「我思う、ゆえに我在り」と言ったときの「我」は、情をもつ「理性的自我」である。……(同書p.156) 
 後者に関しては例えば、ドゥンス・スコトゥス(1265頃〜1308)が、まじめな商人の「勤勉=industria→industry=産業」に高い価値を認めたのに対し、トマス・アクィナス(1225頃〜1274)は、「いささか消極的に、商取引でも商人の心がけしだいでそれを栄誉ある仕事にすることができると認めただけである。この違いは存外に大きいのではないだろうか」(同書p.140)。▼

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▼◯デカルトの『方法序説』が出版された1637年は、西ヨーロッパで魔女裁判が衰退の道を歩み始めた時期と重なる。「デカルト的遠近法主義」に関わる「視覚の特権化」と魔女裁判の衰退には関係があると考えられる。トマジウスは『魔術の罪について』(1701年)で、注意深く物質性をもつ人間と物質性をもたない悪魔が関わり合いをもつことが不可能であると論じている。「思惟する精神」と「延長ある物体」との二元論を説くデカルト哲学の影響を見てとれよう。ベイコンは悪魔と魔女が関わりもつことは認めても、想像のみによって「遠くにいる」人に危害を加えることは不可能だとした。
◯「十七世紀の自然観は、自然研究の進展とともに中世のそれから大きな変貌を遂げつつあった。そのなかで先鋭化してくるのが視覚の重要性であった。そしてこれらの動きに合わせて魔女信仰も徐々に衰退していくことになったのである。」(p.234)▼