カントとモーゲンソーの軍事・平和論比較

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▼……国家権力の代理人である法律家よりも哲学者に優位を認めよ、というのではない。たまには哲学者のいうことに耳を傾けよ、というだけのこと。……
 けっこうカントもカワイイのである。むろんカントの平和論は単純なものではなく、『実践理性批判』や『道徳形而上学原論』での考察が根底にあるだろう。「補説2」で、さり気なく記している。
……「純粋な実践理性と正義をめざしていれば、おのずと永遠平和の目的が実現する」といった考え方、これが政治原理として成り立つのは、モラルの特性と関係している。モラルは具体的な目的性をもたないときにこそ、モラルの目ざすところに近づいていくという奇特な性格を持つからだ。……
 しかし現実の認識は冷徹で、高い理想と併せて学ぶことができるのだ。常備軍が廃止されなければならないとし、
……なぜなら、常備軍はつねに武装して出撃の準備をととのえており、それによって、たえず他国を戦争の脅威にさらしている。おのずと、どの国もかぎりなく軍事力を競って軍事費が増大の一途をたどり、ついには平和を維持するのが短期の戦争以上に重荷となり、常備軍そのものが先制攻撃をしかける原因になってしまう。(第一章)
 国家としてまとまっている民族は、個々の人間と同じで、自然な状態では(つまり、外的な法に縛られていないとき)、隣り合っているだけで、すでに傷つけ合っている。(第二章)……▼

simmel20.hatenablog.com▼慎虜なくして政治的道義はありえない。すなわち、一見道義にかなった行動でも、その政治的結果が考慮されなければ政治的道義は存在しえないのである。したがってリアリズムは、慎虜、すなわち、あれこれの政治行動の結果を比較考量することを政治における至上の美徳と考える。抽象レヴェルの倫理は、行動をそれが道徳律に従っているかどうかによって判断する。政治的倫理は、行動をその政治的結果如何によって判断する。……(第1章・p.58)
 軍備に関しても、とうぜんリアリズムの立場は貫かれている。
……どんな種類の軍備でも、その政治目的は、他国に対して軍事力の使用を危険だと思わせ、それを抑止することにある。いいかえるなら、軍備の政治目的は、仮想敵国に軍事力の使用を思いとどまらせることによって、軍事力の現実の行使を不必要にすることにある。戦争の政治目的も、領土の征服や敵軍のせん滅自体にあるのではなく、敵を改心させて勝利者の意思に従属させることにあるのである。……(第3章・pp.104~105)
 この議論と、カントの「常備軍そのものが先制攻撃をしかける原因になってしまう。」との『永遠平和のために』の考察とを比べて、安全保障について考えをめぐらせたいものである。▼

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