カール・マルクス没後140年の命日(1883年3/14没)

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

▼ 鎌倉幕府滅亡の根本的原因に関しては、中世史研究の現在においてはまだ解明されていないそうである。「人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させた式の議論は、革命の実現を熱望したマルクス主義歴史学の残滓でしかない」ということになる。▼

simmel20.hatenablog.com徳政一揆の対象となった土倉や酒屋は、主に公家・武家などの大口の顧客を相手にしていて、小口融資の場合でも田舎の百姓に融資することはなかった。したがって「都市高利貸資本の農村浸食」に徳政一揆の原因を求める、従来のマルクス主義歴史学の考え方に沿った説明は、説得力を欠いている。徳政一揆が発生した時代は、また飢饉が発生していた時代でもあり、そのことから、凶作・飢饉こそ徳政一揆発生の主因と考えることができるのである。▼

simmel20.hatenablog.com

マルクスが工場労働者を主体に変革を考えたが、現代における労働の主導的(数量的意味ではない)形態は、「知識や情報、コミュニケーション、開放性、情緒的反応といった非物質的な生産物を創り出す労働」である非物質的労働となっており、マルチチュードが社会的主体となる必然性があるのだ。▼

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

丸山眞男市民社会論がきわめてグラムシ的であるのに対し、吉本隆明黒田寛一との対立は、「ソレル的あるいはローザ・ルクセンブルク的な暴力的マッセンストライキへの憧憬を拭えないルカーチと、レーニン主義的な党を目指すルカーチという、『歴史と階級意識』の二面性を反映している」とのことである(p.230)。ヨーロッパマルクス主義の二つの源流が、日本の60年代思想(史)にも大きな影響力を及ぼしていたということ、このことは面白く、もう少し調べてみたいが、現代の格差問題との関連では、次の指摘に考えさせられた。 

 かつては、アンダークラスの労働者階級に対する疚しさがあった。日本では有島武郎の「宣言一つ」以来知られているそれである。それは、小ブルジョワ知識人が労働者階級や貧農との差異を、「いわれのない」ものと認識したからであった。彼ら知識人は、自分が属するアッパーミドルクラスからの労働者に対する階級差別が理不尽であると知ったがゆえに疚しさを感じたとも言える。それは、自由で平等であるべき人間が、それぞれの階級に資本主義によって分離固定されていることからくる差別である。ところが、現代においては、誰もが階級的差異の「いわれ」を知っているがゆえに、疚しさを持たない。ただ「かわいそうだが、しかたがない」と思うだけなのであって、そこに古典的な階級差別は生じにくいのである。もちろん、「かわいそうだが、しかたがない」という意識は、例えば「要塞都市」ロサンジェルスに見られるような貧富の分断をさまたげるものではないが——。(p.345)

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

blog.minaimitaka.site