ジェルジ・ルカーチが亡くなったのは、1971年の6/4。今日の命日で50周年ということになる。昔愛読した『歴史と階級意識』におけるキーワード、「物象化(Versachlichung)」は、正しくは「物件化」と訳すべし、というのが田上孝一氏の見解⦅『マルクス哲学入門』(社会思想社)⦆である。なるほどわかりやすい。
▼従ってVersachlichungは物象化ではない。Sacheの反対概念は「人格」だからである(Twitterにて田上氏にわかりやすくしていただいた)。それは商品として値段が付けて売り買いされるような事物であり、物件である。だからVersachlichungは正しくは物件化と訳されるべきものである。人格的な人間が物件となり、商品化されてその労働力が売買される。そのような商品化を批判する概念がVersahlichungなのである。その前提が人間とは人格であり、物のように扱われてはならないというマルクスの人間観なのである。(p.86)
ブログ(2019年12/5記)で紹介したように、絓秀実氏が、『吉本隆明の時代』(作品社)で、ルカーチの『歴史と階級意識』の日本への影響について述べている。
▼絓秀実氏は、『ヨーロッパにおける1920年代問題が、日本の60年代初頭において、「市民主義者」丸山眞男を含む構造改革派と黒田寛一とを両極とする対立として現出していた』とし、その間に市民主義者・鶴見俊輔のアナキズムと、「急進インテリゲンチャ運動」の先行性を主張した吉本隆明が存在している、と俯瞰している。丸山眞男の市民社会論がきわめてグラムシ的であるのに対し、吉本隆明と黒田寛一との対立は、「ソレル的あるいはローザ・ルクセンブルク的な暴力的マッセンストライキへの憧憬を拭えないルカーチと、レーニン主義的な党を目指すルカーチという、『歴史と階級意識』の二面性を反映している」とのことである(p.230)。