思想史の方法

 田中秀夫京都大学教授の『近代社会とは何か・ケンブリッジ学派とスコットランド啓蒙』(京都大学学術出版会)は、未発表の論考1編を含め全7編の論考(講演記録もある)を章立てしてまとめたものである。したがって内容として重複するところ少なくないが、過去のわが読書歴を振り返りつつ面白く読めた。『ヒュームの哲学的政治学』のフォーブスと『マキァヴェリアン・モーメント』のポーコックに代表させたケンブリッジ学派の文脈主義的な思想史の方法論について、みずからのホッブス研究に始まった研究歴を語りながら、論述している。マルクス主義的およびその補強としてのウェーバー的な方法論から脱却して、いかに近代社会の成立を捉えるべきか、その為の有効な思想史的遺産として18世紀スコットランド啓蒙思想スコットランド啓蒙を追求したケンブリッジ学派の業績に注目するのである。
……自然法歴史認識と経済学の関連という枠組は、共和主義との関係を意識するようになって複雑になった。こうして「啓蒙(自然法と歴史)、共和主義、経済学」という枠組で一七、一八世紀の大ブリテン(英国)、とくにスコットランドの社会思想史の展開を分析することが、私の問題意識となった。大体今から二〇年ほど前、一九八〇年代半ばのことである。……(同書p.178)
 啓蒙とは、「無知、暗黒、専制との闘いの思想」であり、その武器は「知性あるいは理性、学問あるいは科学」であって、「真理を志向するもの」であるから「精神・思想と社会における暗黒とその支配者に対決」したし、また他者のみならず「啓蒙の内部でも対立」を生んだのであった。18世紀にピークをもった近代思想という歴史概念であると同時に、「啓蒙」は知性への信頼を意味する普遍的概念でもあると、田中教授は考える。しからばスコットランド啓蒙の特徴とは、第1に「道徳哲学を母体として、大陸とイングランドから継承した自然法思想と、独自な文明社会史論としての歴史主義をもち、さらに共和主義の影響の影響をうけて、法学、政治学、経済学を体系的に構築した包括性」にあり、第2に「大学も教会も啓蒙の拠点ではなかった」フランスと異なり、「啓蒙の拠点となったのは、大学と教会と民間の協会やクラブそして出版界」で、その主たる担い手は「下層貴族と中間階級を出自とする有能な人材であった」ことである。
「民主主義を目指す」啓蒙は、その途上で共和主義と出会ったとされるが、その共和主義とは、
……共和主義の共通の理解では、人間の完成は共和政体の国家を市民として構築し、支える政治的行為を通して始めて可能になるが、共和国は時間のなかでつねに腐敗する脅威にさらされており、市民はみずからの徳を発揮する(政治的軍事的行為の優位)ことによってこの脅威に対処しなければならない。市民の徳が腐敗するとき(個人的権力欲の追求の優位)、共和国は崩壊する。……(同書p.185)
 この「徳」についての考察が不十分であることが、素人読者にとってこの書の物足りないところであろうか。
 さて経済学の形成史との関連はどうかといえば、「啓蒙を導くのは直接には科学(技術)精神であるが、根底的には富であるという意味で、経済学は啓蒙の戦略的学問である、というのが私の理解である。経済学において強固な理論が構築されれば、社会の持続的成長、諸国の平和友好的な共存は夢でなくなるであろう」と理想も述べている。これまでの少なからぬ日本の代表的思想史家と相違し、田中教授は、「啓蒙の原罪であり、経済学の原罪」とも考えられる歴史の現実を直視する。
……しかし、啓蒙の時代は植民地獲得をめぐる戦争の時代であり、ヨーロッパが帝国的支配を目論んで、非ヨーロッパ世界の侵略を本格化させた時代であったことに目を閉じるわけにはいかない。封建的奴隷制農奴制)が国内で廃止された啓蒙の時代に、植民地奴隷制が成立することをどう理解すればよいのか。大局的な史実をふりかえれば、平和の産業の国内的確立は、事実として、対外的侵略、戦争産業に媒介されていたのではなかったか。……(同書p.193)
 前半3章で、田中教授の先達にあたる小林昇大塚久雄、内田義彦、水田洋の四氏の研究者としての業績について述べている。フリードリッヒ・リストの『経済学の国民的体系』(岩波書店)は小林昇氏、アダム・スミスの『国富論』(河出書房)は水田洋氏の訳(全訳)でそれぞれ読んだので、昔を懐かしく思い出したことだった。大塚久雄氏の講演をどこかの教会で拝聴したことも思い起こされた。
 「自分の国を自然の所与として絶対化しない」「主体性の思想」である共和主義とともに、スコットランド啓蒙にとって重要な「シヴィックヒューマニズム」を理解するために必読の、「徳と政体、国家の関連をめぐる著作として、近代ヨーロッパ思想に関する最高傑作である」と教授が評している、ポーコック(J.G.A.Pocock)著、田中秀夫教授共訳の『マキァヴェリアン・モーメント』(名古屋大学出版会)は、競馬で万馬券でも的中させたときはぜひ購入したい。

(著者の田中秀夫教授が言及している書物もだいぶ並んでいる、わが書庫の社会思想史関連の本棚)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のセイロンライティア。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆