新型コロナウイルス禍で、一部なのか〈左翼〉老人とか〈反権力〉界隈の人がはしゃいでいる印象がある。経済的困難に突然直面している人たちの生活実感とは乖離していよう。
それはそれとして、アナキスト思想家千坂恭二氏の『哲学問答2020』(現代書館)に面白い記述がある。
新型コロナ・ウイルスが何であれ、その感染から身を守るのは、何も権力サイドの措置に応じるためではなく、権力と闘うには、感染から身を守る必要があるからだ。その意味では、手洗いその他の基本的行為は、生活レベルの反感染の武装行為と考えるべきだ。(2020年4/6)
「反感染の武装行為」という表現は、一見どこかの全体主義国家の国民への叱咤激励を思い起こさせる。しかし、千坂氏の考える「全体主義」はもっと〈本質的〉なものであるらしい。
民主主義でファシズムやスターリニズムが批判出来ると思っていたり、ファシズムやスターリニズムの「全体主義」に対して民主主義の方が、自由であり肯定的なものと考える立場は多いが、民主主義もまた、実は先進資本主義国の「全体主義」であることが看過されている。(2018年3/14)
この「全体主義」の語の使い方については保留するとして、次の発言には共感する。バクーニンの「神と国家」は、昔『世界の名著』(中央公論社)で読み感動したことを覚えている。
左翼の革命家の中で、左翼自身が持つ権力主義による腐敗にも敏感で、それを問うたのはアナキズムだ。マルクスは権力を批判したが、自身の権力主義性には鈍感であり、バクーニンはそれを見抜き『共産党宣言』に孕まれている権力主義を批判した。左翼革命家は権力批判は良いが自身の権力の自覚も必要。(2020年4/14)