▼文藝評論家で慶應義塾大学教授の福田和也氏の『奇妙な廃墟』(ちくま学芸文庫 2002年8月初版)は、「フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール」との副題が付いていて、その通り、第二次世界大戦中、思想・信条から主体的にナチス・ドイツと手を結んだフランスの作家・文学者たち(コラボラトゥール)、ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル、ロベール・ブラジャック、リュシアン・ルバテ、ロジェ・ニミエらの思想と文学を考察することを柱とし、その思想史的先駆としてのアルチュール・ド・ゴビノー、モーリス・バレス、シャルル・モーラスらフランス反近代主義について解明したものである。
「同時代の誰にも影響を与えなかったし、その後も今日に至るまで思想的文学的影響は皆無であり、これからもずっとそのままであると思われる」アルチュール・ド・ゴビノー(1816〜1882)は、その著『人種不平等論』がほとんど読まれずに誤解されて、「20世紀最大の災厄のひとつである人種主義の祖として知られ、またヒトラーやローゼンベルクらのナチズムの人種政策に決定的な影響を与えたと考えられている」。
ゴビノーが「文明の死」、「人間の滅亡」と呼んだ全地球的な完全な混血の完成は、いわゆる額面どおりの「死」や「滅亡」ではなくて、混血による各民族の特性の喪失、人間の個性や差異の消滅であり、完全な(「普遍的な」)人間の均質化、同質化をもって「死」と呼んでいるのである。ゴビノーによるならば、活力のある文明とはそこで生きる人間たちが、自分自身の特性をもち、自由に(リベラルな、政府が与える自由ではなく)欲望のままに生きる社会であり、そこでは高貴と卑賤、富裕と貧困、勝利と敗北がそれぞれはげしいコントラストであらわれ、同質性ゆえではなく、それぞれの個性によって各人が生きるような文明である。このようなゴビノーの近代批判、ヒューマニズム批判の内容は、晩年のニーチェがキリスト教批判において「生を弱めるもの」にむけた指弾と極めて近いし、ブルクハルトの文明論にも相通ずるものがある。そしてゴビノーが近代社会を「けだるさに圧倒されて麻痺したまま澱んだ水たまりにつかって反芻している水牛の群れ」のごときものだと定義しているのは、「ツァラトゥストラ」の「末人」の章での考察に相当するのではないだろうか。ニーチェはゴビノーを、ワーグナーを通じて、またブラジル皇帝ペドロ2世を通じて知っていたとおぼしいが、はたしてその著作を読んだかどうかは分からない。(pp.82〜83)