東京方言

 開高健のエッセ・ロマネスク風連作小説『珠玉』(文春文庫)の第1話「掌(て)のなかの海」の冒頭すぐ後の文章に、
……“フィッシュンチップス”はタラとかカレイとか、白身の魚なら何でもいい、それを乱雑に叩き切って粉にまぶして油で揚げたというだけのものである。ポテトのフライといっしょにして新聞紙の三角袋につっこんでわたしてくれる。ごくざっかけな食べ物であって、料理といえるほどのものではない。……(同書pp.9〜10)
 とある。  
 この「ざっかけな」の語がわからなかった。わが『広辞苑』ほか国語辞典で扱われていない。ところがネット探索ですぐに氷解した。
 http://blogs.dion.ne.jp/bunsuke/archives/1809419.html(「東京方言」)
 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/88266/m0u/(「goo辞書」)
 これらから、「ざっかけない」が「雑で粗野である」という意味の形容詞で、東京方言であることがわかる。作品中の「ざっかけな」は、校正ミスか作家の記憶違いであったろう。『文学界』初出掲載、単行本を経て文春文庫刊行の経由からは作家の記憶違いの疑いが濃厚である。大阪出身の開高健がなぜわざわざ「東京方言」を、地の文で使ったのかは理解できない。
 興に乗って「方言」について「Wikipedia」にあたってみた。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/日本語の方言の比較表(「Wikipedia」)
「捨てる(棄てる)」の方言として「ふてる」の言い方がけっこう分布していることを発見した。昔小学校の黒板に、よく週番の「ゴミ箱がふててない」とのチョークの評価が書かれてあったことを思い出し、また東京下町出身のビートたけしさんがTVで「ふてる」の語を使っていたことを思うにつけ、この語は東京下町の方言であると〈観念〉していたものである。しかしあらためて『広辞苑』を調べれば、「ふてる(棄てる)→ふつ(棄つ)」とあり、「ふつ(棄つ)」の古語としての用例(『大和物語』)が紹介されている。すなわち第149段「沖つ白浪」のところに、
……かくて、なほ見をりければ、この女うち泣きて臥して、金椀(かなまり)に水をいれて胸になむ据へたりける。「あやし、いかにするにかあらむ」とて、なほみる。さればこの水熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。又水を入る。みるにいとかなしくて走りいでて、「いかなる心ちし給へば、かくはしたまふぞ」といひてかき抱きてなむ寢にける。かくてほかへもさらに行かでつとゐにけり。……
 とある。この「湯ふてつ」は下2段活用「ふつ」の活用形である。意味は「湯を棄てた」である。
 http://plaza.rakuten.co.jp/masasenoo/diary/201110300000/(『大和物語』第149段) 
 つまり、「棄てる」意味の「ふてる」は、日本語としての正統性をもっていることを知らねばならないのである。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の多年草ロベリア(Lobelia cardinalis:紅花沢桔梗)の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆