谷崎潤一郎『細雪』をめぐって

 藤田三男編『浅見淵随筆集・新編燈火頬杖』(ウェッジ文庫)が届いた。さっそく所収の『「細雪」の世界』を再読。今回も感嘆させられた。この長篇小説に対する著者の捉え方は明快で、「ブルジョア時代の一つのモニュメントとして残るべきもの」であるとの礼賛も、大阪船場の生活が正確に描かれていないとの否定論も斥け、あくまでも「王朝時代の風流生活に対する憧れ」と、帝都東京では失われてしまった(下町の)伝統的生活の再現を願う「擬古的生活」を描いた「心境小説」であるとしている。心境を作品中に展開できれば作者はそれで満足で、「その意味では、人物は飽くまでも道具なのだ」から、船場生まれの人物と生活がリアルに描写されているかどうかは「二の次」であるということになる。作品の主たる舞台となっているのは、大阪船場ではなく、船場の旧家蒔岡家から分家して棲んでいる次女の幸子と婿養子貞之助夫婦の阪神間(芦屋)の家である。この二人を軸として三女雪子の何度もの見合いと四女妙子の恋愛沙汰の物語が展開する。作者潤一郎は、幸子夫婦に主観を託しているとし、「幸子夫婦を籍り(ママ)て、伝統的な生活様式、つまり因襲に根差した一定のしきたりや、掻い(ママ)ところに手が届くような繊細な都会人の義理人情を発揮させている」。底流しているのは、「大阪の風俗」を題材としながらも「滅び失せている昔の東京下町のそれに対する作者の深い哀惜の情」であるとしている。細かい事例では、作中しばしばの観劇の対象が菊五郎の芝居であるが、東京人が雁治郎を好きになれないように、大阪人は東京歌舞伎には深い愛着はなく、とくに菊五郎の藝は親しまれにくかった。それを知っていて谷崎潤一郎はあえて小説では、菊五郎の芝居を観に行かせている。また幸子が上京の折江戸前鰻屋に出かけて昼飯を食べるところ(中巻)も、いくら子供のころの思い出からとはいえ、関西人が江戸前鰻屋に出かけるのは必然性を欠いている。いずれも作者自身の趣味と郷愁の吐露なのである。
 各場面での会話のことばが、当時の船場出身の人物のものとしては必ずしも適切ではないところが多いことについて、1928(昭和3)年大阪船場に生まれそこで育った三島佑一四天王寺国際仏教大学教授の論考「『細雪』の船場ことば」は、参考になる。当時の「芦屋は船場の商家の暖簾から中の上り框から上の女の世界が、職住分離によって居を移した所といってよい」のであって、むしろ正しい船場ことばに矜持をもっていたはずであるとの前提で考えるべきなのである。

「かわいらしいお嬢さん」の意味の「小いとさんこいさん」とか、「いとしいひと」の意味の「いとさん」、「と」が曖昧になって転音した「とうさん」などは、身内間では(絶対ではないが)あまり使われない。幼少のころそう呼ばれていただろう雪子が四つ下の妙子に「こいさん」の呼称を使っている。上巻一章最後に「……御寮人さん注射しやはるで。」と妙子が階下の女中たちのだれかに声をかけるところがある。「御寮人(ごりょん)さん」とは「船場の富裕な商家の奥さん」という船場の特別な敬称である。船場ことばも知らない女中さんたちに使うだろうか。幸子のモデルの谷崎夫人松子が歴とした御寮人さんであったことが、影を落としているのであろうか。着物の柄選びのところで「上品でやわらかいはなやかさ」の意味の「はんなり」、「上品でシックな地味」の意味の「こおと」のことばが使われていないのも慊い印象を残すようである。小学生の悦子の標準語風の言い方、「幾日でも垢だらけのものを平気で着ている」女中お春のあまりにも折り目正しい標準語の敬語の使用など、言葉遣いにことさら厳しかったという大阪船場出身の人の家庭としては不自然に見えるとのことである。むろん三島氏は、文学としての作品中の会話が必ず日常の現実と同じであるべきであるとは主張してはいない。
 http://umi-no-hon.officeblue.jp/home.htm(「 三島佑一:『細雪』の船場ことば 」) 
群系33号』に、土倉ヒロ子さんの「谷崎潤一郎・戦禍の華『細雪』」が掲載されている。示唆されることあり、面白く読んだ。いちばんの読みどころは、結末のところで婚約整った雪子の体の変調の描写について論じた部分であろう。
……さう云へば、昔幸子が貞之助に嫁ぐ時にも、ちっとも楽しさうな様子なんかせず、妹たちに聞かれても、嬉しいことも何ともないと云って、けふもまた衣えらびに日は暮れぬ嫁ぎゆく身のそぞろ悲しき、と云ふ歌を書いて示したことがあったのを、圖らずも思ひ浮かべてゐたが、下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ續いてゐた。……(中公『谷崎潤一郎全集・第15巻』pp.881〜882) 

 土倉さんは、「谷崎のマゾヒズムがにじみだしたと解釈したい」としている。「谷崎は、雪子に変化(へんげ)」し、「だれとも知れぬ手が雪子を虐めている」のではないかと〈深読み〉を試みている。愉快である。いったいにこの小説では病気・病状などについての描写が少なくない。たとえば幸子の黄疸をめぐる客の夫人たちの会話のところなど。
……「さう云へば、黄疸て云ふ病気、腋の下にお握りを挟んで置くといゝんですってね」……(『全集・第15巻』p.156)
 この大きな文脈の中で見れば、最後の結婚することになってしまった雪子の「下痢」の描写にも、唐突なエロティシズムは感じられない。

 あと圧巻の「六甲の山津波」のところについて、昨今の大災害を「先取りしていて、それを作中に取り込むなどの先見性には驚嘆する」と述べているのは、共感できる。
……板倉が答へたところに依ると、彼にはその朝から今日あたり水が出さうだと云ふ豫感があったのであると云ふ。なほもう一つ遡ると、阪神間には大體 六七十年目毎に山津波の起る記録があり、今年がその年に當ってゐると云ふことを、既に春頃に豫言した老人があって、板倉はそれを聞き込んでゐた。……(『全集・第15巻』p.322) 


 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110719/1311046389
  (『東京神楽坂を歩く・「痴人の愛」:2011年7/19』)

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110919/1316407898
  (『谷崎潤一郎「人魚の嘆き」:2011年9/19』)

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111220/1324357487
  (「〈変質者〉谷崎潤一郎:2011年12/20」)

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111220/1324357487
  (「谷崎潤一郎と都市:2012年4/10」)

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130812/1376284767
  (「マクバーニー演出『春琴』観劇:2013年8/12)

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130924/1380022782
  (「刺青について:2013年9/24」)