「文化程度」


 田島英一慶應義塾大学教授の『弄ばれるナショナリズム』(朝日新書)は、英国のゲルナーという人の、近代国民国家の成立と民衆の「産業戦士」化の因果関連図を応用して、中国におけるナショナリズムについて歴史的に考察した好著である。中国史の知識に乏しいため、読みすすめるのに難渋する。「文化」という言葉に関する説明は面白い。
……教育によって知識と徳性を高めることを、漢語では「文化(ウエンホウ)」といいます。厳密にいうと、日本語の「文化」とは意味が違うのです。日本語の「文化」は集団や地域の属性ですが、漢語のそれは、個人の属性でもあります。たとえば、漢語では個人の学歴を「文化程度」といいます。「文をもって化する」、つまり禽獣に等しい化外の状態から人間的な状態に移行することが教育ですから、学歴はどれだけ「文化」したかを示す指標になるわけです。また、中国人が「没文化」(文化がない)といったら、それは「知識も徳性もない」という意味です。人格に対する最悪の否定であるといえましょう。
 漢語は方言の分岐が激しく、それぞれ地域言語で会話したら、意思の疎通は不可能となります。「士」の間には、古来言語についても、一種のスタンダード意識がありました。孔子は「雅言」を用いたといいますし、孟子は南方方言を「モズのさえずりのようだ」とこきおろしています。……
 現代中国の経済発展の過程で一握りの富裕層に対して「負け組」になってしまったなかから、ネット世界を拠点に活動する「憤青」などとよばれる層が、「血統中国」的大衆ナショナリズムを形成していること、これに対して、中国指導部も難しい対応を迫られていることなどがよくわかる。
 さらに興味をもって読んだこととして、日中における反省と謝罪に対する姿勢の違いがあるということだ。日本では、「始末書」スタイルで、真摯な反省と謝罪の形式あるいは、「けじめ」の形式が重んぜられ、再発防止についての論理的保証は必ずしも求められない。ところが、中国においては「検討書的発想」が浸透していて、「必ず過ちへといたる過程と様々な起因を分析し、次にどうしたら同じ過ちの繰り返しを防げるかを考察」することが必要なのだそうである。これは、もしかすると前王朝滅亡の総括をする、「正史」の伝統からきているかもしれないとのことである。

弄ばれるナショナリズム―日中が見ている幻影 (朝日新書 27)

弄ばれるナショナリズム―日中が見ている幻影 (朝日新書 27)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家に咲く、上ニワウメ(庭梅)、下葉牡丹の花茎。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆