政治の世界の老人と青年


プルターク『倫理論集』の話」(河野與一選訳・岩波書店)に「老人は政治から手を引くほうがいいか」という〈エッセイ〉がある。同盟の役職と神官職を老齢で退こうとしていた友人に、同じく年をとったプルタークプルタルコス)が書き送った書簡とのことである。「國家が難局に當って老人の支配を欲するのはその思慮のためである」とし、友人に隠退を思いとどまるように説得の論を事例を挙げて展開している。
……確かに、王の職務といふものは最高の政治的意義を持つと共に最大の勞苦と煩雑を伴ってゐる。セレウコス王は始終言ってゐた、「こんなに澤山手紙を讀んだり書いたりするだけでも大變な仕事だといふことを民衆一般が知ったなら、投出された王冠があっても拾ひはしまい。」と。フィリッポス王も、格好な場所に陣營を置かうとして、そこには飼料(かいば)がないと言はれ、「やれやれ、何といふ一生だ、驢馬の御機嫌まで伺はなければならないとは。」と叫んだ。だから時には、國王でも年を取ったら王衣と王冠を脱いで田舎に引込めば餘計な心配事で老年を煩はさずに濟むといふ説が行なはれる。しかしソロンやカトーやペリクレスにそんなことを勧めて貰っては困る。青年の不健全な欲望や衝動を吐出してしまって經験に養はれた智慧が實る時に政治を棄てるのは道理に合はない。……(同書pp.15~16)
 いまの日本の政治状況は、青年=民主党に失望した国民の多くが、この難局を迎えて(それに比べて)いくぶん思慮ある老人=自民党に大いなる期待を抱いているといったところであろう。しかし老獪な政治家の〈思慮〉だけで課題は克服できない時代であることも自明である。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、カランコエ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆