たかがミシュラン、たかが寺山修司


 7/21(土)は、こちらの誕生(前日7/20)祝いということで、新進気鋭の弁護士Y氏が、ごっつあん企画の一環として席を設けてくれた。ミシュラン2012「二つ星 2 stars ☆☆」のフレンチレストラン「ty/タテル ヨシノ 芝 」が会場。パリ「ステラマリス」の国際的オーナーシェフ吉野建氏が、その魅力そのままに東京芝でプロデュースしているフレンチレストラン。「芝パークホテル」の1Fにある。
 http://www.tateruyoshino.com/shiba/index.html(「ty/タテルヨシノ芝」)
 シャンパンと極上の赤ワインに酔いしれて、当日のメニュー&ワイン銘柄を失念、とにかく堪能できた。祝いの歌まで唄ってもらい、祝賀のプレート(フランス語)も用意されていた。感激。
 JR新橋駅までの途中地下鉄内幸町駅では、駅員の特別の計らいにて改札内のトイレを利用させていただいた。内幸町駅に幸いあれ! この駅こそミシュランものである。






 7/23(月)は、横浜STスポット(横浜STビルB1)にて、劇団「重力/Note」公演、『職業◉寺山修司』を観劇。この劇団の舞台は、今回で4回目で、寺山修司の作品および北川登園の『職業◉寺山修司』を、鹿島将介が構成・演出したもの。50人くらいで満席のスタジオ公演、端の席に坐るため最後に坐ったところ、演出の鹿島さんと隣となった。鹿島さん、こちらのことをちゃんと覚えていて、わざわざ千葉からどうも、と挨拶してくれた。
 あいかわらずの〈鹿島メソッド〉による俳優らの声と身体の動きがなつかしい。卓袱台の使い方に感心した。競馬の馬に託した寺山修司の想いが表現されるところは、とくに感動した。
 かつて『寺山修司の仮面画報』(平凡社)で岸田理生さんが、寺山修司の映画について述べた件が参考になろうか。
寺山修司の実験映画は、常に記憶と結びついていて忘れたと思いこんでいた事象が、ふとしたきっかけで表面に浮上してくるといった役目を果しているように思われる。そうした作品群に私は、エドガール・モラン『映画—想像のなかの人間』の一節を思い出すのである。
 人は、死んだものたちと一緒に映画をつくる。人は、死んだものたちを連れ出して再び歩かせようとする。それが映画なのだ。……(新装版p.99)
「共感という名の身近さよりも、少し距離のある何か」(パンフレット:鹿島将介)を探して、死んだ寺山修司を「連れ出して再び歩かせようと」した舞台であったのだろう。昔「天井桟敷」の公演を観ていた者として、楽しむことができた。 
 はじめから一貫して、「×月×日、いつもと変わらず」の台詞が反復される。寺山修司の舞台は、日常の演劇化のもくろみをもっていたことを思えば、肯ける。幕を下ろす代わりに、俳優が正面の縦に並ぶドアを二つ開けたところ、向こうの廊下をサラリーマン風の男の人が通って行った。「あれは演出だったんですか?」と鹿島さんに訊くと、「いや違います」との応え。「効果的だったですね」とこちらが言うと、「ありがとうございます」と鹿島さん。じつに寺山修司的終わり方ではあった。演出家鹿島将介さんは、かつての映像表現史における、松本俊夫監督なのかもしれない。
 横浜駅構内崎陽軒で、土産の中華マンを購入して帰宅。長時間の冷房と電車の騒音で右耳が不調となったが、夜には恢復した。



⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上産卵するアゲハ、下オリエンタルリリー・オルフェオ(Orfeo=オルペウス)の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆