筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』の第7講 小谷野敦『「男性性」のゆらぎ』は、小谷野氏得意の近松秋江と久米正雄の人生と作品をめぐって、大正期における男ー女関係(恋愛関係)における理想の男性像のゆらぎを解説している。
最後に谷崎潤一郎にも論及し、「秋江、久米らの男性像を継承したのは、谷崎潤一郎であろう。昭和初年の、『春琴抄』から『細雪』にいたる女人崇拝的な作品によって名高い。『春琴抄』で、佐助は目をつぶすが、谷崎が本当にやらせたかったのは去勢だったであろう」と書いていて面白い。
さらに詳しく知るための参考文献として、小谷野氏の『近松秋江伝』(中央公論新社)と『久米正雄伝』(中央公論新社)のとうぜんの2著に加えて、ドニ・ド・ルージュモンの『愛について』上・下(平凡社ライブラリー)を推薦している。「西欧文学における愛の歴史についての古典的な研究書であるが、現在では否定された部分も多い」と注釈している。恋愛は西洋12世紀の産物とのかつて流行った仮説を論破して、比較文学者の面目躍如であった小谷野敦氏の注意、すんなり受け入れられる。
ドニ・ド・ルージュモン(Denis de Rougemont)の『愛について』(鈴木健郎・川村克己訳 岩波書店)は、昔江藤淳の『小林秀雄』(講談社)を読んだときに購入し、その第1の書「トリスタンの神話」のところを熱心に読んだことを思い出す。
【ブログ過去記事から】
⃝近松秋江「黒髪」
▼近松秋江の短篇「黒髪」では、京都祇園町の廓の女に溺れてしまった主人公の「私」が、彼女の「身の薄命を省みて、ふと涙ぐむ時など、じっと黙っていて、その大きな黒眸(くろめ)がちの眼が、ひとりでに一層大きく張りを持ってきて、赤く充血するとともに、さっと露が潤んでくる」その時の眼だけでも「命を投げ出して彼女を愛しても厭わない」としているが、髪についてもむろん描写がある。
……冬など蒼白いほど白い顔の色が一層さびしく沈んで、いつも銀杏がえしに結った房々とした鬢の毛が細おもての両頬をおおうて、長く取った髱(たぼ)が鶴のような頸筋から半襟に被いかぶさっていた。
※髱(たぼ):日本髪の後方に張り出た部分。
四十九日忌も終了して、仏壇と霊園&墓地を選定し、買い求めねばならないという課題があり、なかなかたいへんではある。
「黒髪」の結末のところでは、やっと招かれた女とその母親が暮らす建仁寺の裏通りにある家の2階の部屋で「私」は、仏壇を見つける。
私も笑いながら立ち上がって、その小さな仏壇の扉を開けて中に祀ってあるものをのぞいて見た。一番中央に母子の者の最も悲しい追憶となっている五、六年前に亡くなった弟の小さな位牌が立っている。そして、その脇には小さな阿弥陀様が立っていられる。私は何気なく、手を差し伸べてそれを取ってみようとすると、その背後に隠したように凭(もた)せかけてあった二枚の写真が倒れてので、阿弥陀様よりもその方を手に取り出してよく見ると、それは、どうやら、女の死んだ父親でも、また愛していた弟の面影でもないらしい。一つは立派な洋服姿の見たところ四十格好の男で、もう一枚の方は羽織袴を着けて鼻の下に短い髭を生やした三十ぐらいの男の立ち姿である。私はそれを手に持ったまま、
「おい、これはどうした人?」と、女の着物を畳んでいる背後から低い声をかけた。
すると女は、すぐこちらを振り顧りながら立って来て、「そんなもん見てはいけまへん」と、むっとしたように私の手からそれらの写真を奪いとった。
隠された遺影は〈援助〉してくれた男たちのものであろう。とすれば、「私」もいつか仏壇の隠れたところにその写真が祀られるのだろう。怖くて面白い。(2018年12/10記)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000275/files/1676_21590.html(「青空文庫『黒髪』」)