和歌の優劣


 渡部泰明東京大学教授の『和歌とは何か』(岩波新書)によれば、歌合は、作者以外に左右それぞれ方人(かとうど)40名近くがみやびのたたかいの主体として参加して催されたそうである。しかし歌の優劣の判定はむずかしく、判者を悩ませることが少なくなかったらしい。天徳4年(960年)の歌合で、次の2首の秀歌の判定は困らせたようだ。

 ・恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひ初(そ)めしか
 ・忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

 壬生忠見平兼盛のどちらの歌を採るべきか迷った判者藤原実頼は、村上天皇のご意向を忖度して右方平兼盛の作品を勝ちとしたそうである。じつに勝負を競う困難さを象徴しているが、渡部教授は、歌合に意義を認めている。
……歌の良し悪しを判定する歌合が盛んに行われたことが、和歌への批評精神を非常に高いレベルに押し上げたのである。平安時代の遊宴を主眼とした歌合から、和歌作品自体を評価・批評する文芸的な歌合へと、歌合そのものが大きく変化してきたことがわかる。……

和歌とは何か (岩波新書)

和歌とは何か (岩波新書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上フウセントウワタ(風船唐綿)の実、下ナンテン南天)の実。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆