唐十郎、奇しくも寺山修司没後40年の祥月命日に逝去

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▼劇団唐組のブログ記事によれば、まだ東京のどこかに紅テントを設営して芝居を上演しているのを知り、驚いた。こちらは、寺山修司主宰天井桟敷の初期公演は〈勤勉〉に観ていて、鈴木忠志の舞台はいまに至るまで熱心に観ているが、状況劇場(後に唐組)の紅テント公演を観たのは一度だけである。むろん新宿花園神社境内での公演、『お化け煙突物語』(1981年両国で初演とのこと)。閉所恐怖症の気味あり、こういう客を詰め込んでの(たしかミニ座布団利用)芝居見物は向いていなかったのだろう、紅テント公演は、その後観ていない。ただ、1988年浅草隅田川岸、安藤忠雄設計の仮設劇場下町唐座での『さすらいのジェニー』は観劇している。緑魔子の存在感と水しぶきの印象は残っている。自分探しの迷路に酩酊するような展開を、歳をとっても愉しめるかどうかである。個人的には、『少女仮面』と『下谷万年町物語』の舞台が印象的であった。
 http://ameblo.jp/karagumi/(「劇団唐組:公式情報」)
 http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2016-10-10-1(「唐十郎「夜壺」:石原藤樹のブログ」)

(1981年2/21、蜷川幸雄演出『下谷万年町物語』PARCO西武劇場にて。この日は、大人の文ちゃん役は、唐十郎ではなく、小林勝也。)

(1982年7月、小林勝也演出『少女仮面』PARCO SPACE PART3にて。若き渡辺えり子が裸身を晒したのは、この舞台だけなのでは?)

(1982年9月、出口典雄演出『吸血姫』俳優座劇場にて。)

(若き吉田鋼太郎がいる。)
 (1982年11月、出口典雄演出『愛の乞食』PARCO SPACE PART3にて。主宰する劇団が「上半身はかなり鍛えてはきたが、どうも下半身が弱い」とみずから認識した出口典雄は、「役者と言葉との間にある断絶」を突き破る手がかりとして、唐十郎の作品を選んでいる。)

(1983年2・3月、蜷川幸雄演出『黒いチューリップ』PARCO西武劇場にて)

(1989年3月、蜷川幸雄演出『唐版・滝の白糸』日生劇場にて)

(1989年12月、蜷川幸雄演出『盲導犬日生劇場にて。解散SMAP木村拓哉桃井かおり財津一郎らとともに出演。女の子たちの嬌声?で騒がしくて進行が妨げられた。)

simmel20.hatenablog.com▼昨日何となくNHKBSプレミアムを観ていたところ、『アナザーストーリーズ』というドキュメンタリー特集シリーズの今回「越境する紅テント~唐十郎の大冒険」を放送していた。かつての状況劇場の演劇活動の軌跡と、状況劇場を継承した唐組と唐十郎の現在を、唐十郎状況劇場に関わった、小林薫不破万作、故十八代目中村勘三郎勘九郎などの証言を交えて追求・紹介していて懐かしかった。状況劇場の出発点が、数寄屋橋公園の池での芝居と逮捕であったことを知り、さても「水」と法律違反が芝居の原点にあったのかと不覚にも知った次第。脳挫傷で倒れた唐十郎さんもそこそこ元気な様子で安心できた。
 放送で芝居の出し物としては、唐組の『さすらいのジェニー』の舞台を紹介していた。唐組公演の『さすらいのジェニー』は、1988年春、安藤忠雄建築研究所が設計、飛島建設が施工した、隅田公園特設会場で観たことがある。唐十郎のほかに緑魔子石橋蓮司柄本明麿赤兒出演という、いま考えればたいへんなキャスティングであった。むろん水が滝のように流れ、浴びた役者たちは「ムダなエネルギー」のムダを奇怪にかつ美しく演じたのであったろう。「あったろう」とするのは、舞台の記憶がいろいろごっちゃになっているからである。

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