学校教育の成果

 8/23閉幕の「第26回ユニバーシアード競技大会」での、日本人選手の控え室の使用について、中国微博(中国版ツイッター)で、その「美しさ」に賞賛の声があがっているそうだ。ゴミが一箇所に集められていたり、椅子や机がきれいに並べられていたりする様子が画像で流され、感心させたようである。
  http://www.narinari.com/Nd/20110816149.html
 あまり大袈裟に論じることでもないが、日本人選手のこういう行動は、むろんすべてではないにしても学校教育の成果であることはたしかであろう。学校における「特別活動」の意義を強調していた、岡本薫政策研究大学院教授の教育論を思い出した。かつてわがHPに記載の記事を再録したい。
◆「東京新聞」2006年3/4号紙上で、岡本薫政策研究大学院教授が、教育に限らず帝国陸海軍にもあったし、いまの企業にもある、日本人の基本的思考パターンとして、マネジメントの欠如をあげている。氏の述べるマネジメントとは、1「現状」を正しく認識し、2その原因を究明し、3具体的な「目標」を設定し、4そのための有効な「手段」を開発実施、実施後は目標との比較で結果を「評価」し、次につなげる、このプロセスを指している。日露戦争での局地戦での勝因は物量の問題なのに、精神力で勝ったなどと言っていたから太平洋戦争で敗北を招いたことと、昨今の教育改革論議においてマネジメントが欠如していることとは同じであると断じている。氏の議論をもっと詳しく知りたくなり、さっそく『新不思議の国の学校教育』(第一法規)をネットで入手。一気に読了。共感することばかりであった。もともとこの書は、初版は英語で記述出版されたものであり、2001年加筆された第3版を本人自身が和訳したものである。この第3版は、ハーバート大学などでもテキストとして活用されているそうだ。
教育基本法」の第1条で「教育は人格の完成をめざし」とその目的を規定していて、西欧・北米諸国では初等中等教育の目的としている知識・技能の習得について何ら言及されていないことに、まず岡本氏は注目を促している。日本では何か社会的問題がおこると「心の教育」のいっそう充実が叫ばれるが、このような対応はむしろ特殊であるという。
『当然のことながら、西欧・北米でも子どもたちにたいする「心の教育」は行われていますが、それは殆ど場合「学校の役割」とはされていません。心の教育は、単純化して大雑把に言うと、アングロサクソン諸国では「家庭」の役割、大陸ヨーロッパ諸国では「宗教」の役割と思われていることが多いようですが、教育だけではなく様々な側面について、この両者の差異を認識している日本人はあまり多くはありません。』
 日本の社会経済発展への貢献という側面で、学校教育における「態度育成」の成果について、十分な分析を行っている研究者はいない現状だ。しかし、班別編成による行動の習慣が「協調性」を、すべての子どもが可能性をもっているとの平等への信仰が、「勤勉性」を、「日本は小さくて弱い国だ」という客観的にはあてはまらない自国イメージが無意識に植えつけられることが、「エンタープライズィング・スピリット(進取の気性)」を、それぞれ形成したのではないかとの仮説を提示していて面白い。これらは意図的な教育政策の成果というよりも、日本の文化的特性がもたらしたものと見るべきである。ところがしっかりとした原因ー結果分析をしていないので、このような大切な「態度育成」に関わる活動である「特別活動」の時間を減らしてしまう「教育改革」を行ったりするわけである。
 知識・技能について、すべての子どもたちに必要なことと、そうでないこととの区別がなされてこなかったために、学力低下論を背景に平等をめぐる議論が混乱してしまっている。
『つまり間違っていたのは、「結果の平等の追求」そのものではなく、「すべての子どもたちに必要なこと」(「結果の平等」を追求すべき内容)と「そうでないこと」(「機会の均等」を確保しておけばよい内容)とを区別してこなかったことなのです。この区別が現在でも明確にされていないために、「すべての子どもたちに必要なこと」についても「機会均等だけでよい」などという暴論をはく人や、逆に、「あらゆる選択科目は差別だ」などという人がいるようです。』
 岡本氏は最後に、喫緊の課題として、1「義務教育段階のカリキュラム」について「すべての子どもたちに必要なもの」を特定する努力、2すべての大学が志願者の高校教育達成度をそれぞれ測定できるような「特異な大学入試制度」を改める努力、3「既卒者」と「卒業予定者」が労働市場への参入において同じ条件で評価されるようなシステムへの改革を通して、人々が生涯のいつでも、労働市場において同じ条件で能力を評価してもらえるような「やり直しのきく社会」を作る努力、の三つをあげている。首肯できるところである。(2006年3/8記)

新不思議の国の学校教育―日本人自身が気づいていないその特徴

新不思議の国の学校教育―日本人自身が気づいていないその特徴

⦅写真(解像度20%)は、千葉県九十九里のガイラルディア(Gaillardia=オオテンニンギク:大天人菊)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆