「四川大地震の記」再録

 4/14日中国青海省で起こった地震は、大惨事となっているようだ.08年の四川大地震を思い起させる.ここでも漢人チベット人の民族格差があるらしいが、詳細についてはわからない.単純化して外から批判することはたやすいが、貧困からの脱却という課題達成に、資本主義システムの導入が有効であることは否定できないだろう.
 08年6/11日の日付で、わがHPに記載したことを再録しておきたい。
◆「東京新聞」6/10夕刊で、作家・詩人の伊藤桂一氏が「四川大地震ヘのさまざまな思い」と題して一文を寄せている。かつて日中文化交流協会使節団の一員として中国に招かれた年(1976年)に24万人の死者を出した唐山地震がすでに起こり、「大地震で被災した無数の避難民が、道路脇の空き地にテントを張った仮小舎に収容されている様子が見られた。私たち一行は中国へのいいがたくきびしい心痛を抱いたまま、ひと月近い行程を終えている」と述べ、またその後の杜甫が住んでいた成都訪問のことにも触れ、「しかしいまは、成都は震災の都として、心に深く痛みを刻んでくるだけである」としている。
……結局は、敗戦によってすべての事情は過去に葬られたが、元兵隊たちが駐屯時代を懐かしむのは、中国という土地もだが、人情につながっているからである。従って、いまは世に亡いかれらにしても、私と同様、このたびの四川大地震について、わが事のように懸念が絶えないであろう。かれらの思いも、戦記作者の私にはよくわかるのだ。……
◆社会思想史のうえで、「大地震」で思い起こされるのは、アダム・スミスの『道徳感情論』の「利己心」についての議論である。「同感の原理」によって、この「利己心」との折り合いを導き、あるべき市民社会としての市場社会を構想したといえるだろう。スミスがこの著作を著す直前(1755年)「リスボン地震」が起こり、リスボンほかの被災地は壊滅的な惨事に遭っていたのだ。知られた記述はその事実を踏まえている。

「シナという大帝国が、その無数の住民のすべてとともに、とつぜん地震によってのみこまれたと想定し、そして、ヨーロッパにいる人間愛のある人で、世界のその部分にどんな種類のつながりももたなかったものが、この恐るべき災厄の報道をうけとったとき、どんな感受作用をうけるであろうかを、考察しよう。わたくしの想像では、かれはなによりもまず、あの不幸な国民の非運にたいするかれの悲哀をひじょうに強く表明するであろうし、人生の不安定、このようにして一瞬に壊滅させられうる人間のあらゆる労働のむなしさについて、多くの憂鬱な考察をするであろう。かれはまた、おそらく、もしかれが思索の人であったとすれば、この災難が、ヨーロッパの商業に、および世界全体の営業活動に、もたらすかもしれない諸効果についての、多くの推論に入っていくだろう。そして、この上品な哲学のすべてがおわったとき、これらの人道的諸感情のすべてが、ひとたびみごとに表現されてしまったとき、かれは、そういう偶発事件がなにもおこらなかったかのように、いつもとかわらぬ気楽さと平静さをもって、自分の仕事または快楽を追求するであろうし、休息をとったり気晴らしをしたりするであろう。かれ自身にふりかかりうるもっともつまらぬ災難でさえも、もっと真実の混乱をひき起こすであろう。」       (『道徳感情論』第3部第2篇、水田洋訳・筑摩書房

⦅写真(解像度20%)は東京台東区下町民家の石楠花(シャクナゲ)の花.小川匡夫氏(全日写連)撮影