迷惑物への対処はむずかしい

 荻生徂徠の『政談』の巻一の冒頭すぐあとに次のように書かれている.岩波版『日本思想大系』36収録の『政談』の原語を若干( )内に記して、中公日本の名著16『荻生徂徠』の、前野直涁現代文訳から引用.

「このごろ盗賊が方々へ押し入って、人を殺したり物を盗んだりし、あるいは放火し、あるいは夜間に人通りの少ない場所で待伏せして追剥ぎをし、また年の若い浮浪者(ウワキナルモノドモ)で、ただ刀を抜いて人を脅し、逃げ走らせて面白がっているような者や、捨子をしたり、死体(棄物)を捨てたりするような者があって、これらの行為を制止するのはむずかしい。「死体(棄物)を捨てる者がある」という声がすれば、あたりの家々は騒ぎ立てて、それぞれ自分の家の前に捨てさせまいとするが、それだけのことで、捨てる行為を制止する人はいない.自分自身(面々)の家の塀の外は、人々の往来する道路であるから、ここを責任をもって管理する者はいない.」
 迷惑物あるいは迷惑施設は、誰にとっても家の前から放り出したいもので、江戸の町でも事情は同じであったのだ.ゴミ処理場や葬祭場が近隣に造られるとすれば、「民意」は常に反対となる.経済学的には補償による解決ということになろうが、たんにお金だけでは説得できないかもしれない.むずかしい。

⦅写真(解像度20%)は、東京下町で咲いた連翹(レンギョウ)の花.アマチュア写真家小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆