栗田勇のル・コルビュジェ頌



 詩人栗田勇氏は、多くの建築論を書いているが、「空間としての建築」をめぐる議論であり、構想されているのは建築における「劇的な空間」の演出であって、決して詩人の余技ではない。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100610/1276138381(「栗田勇詩集『仙人掌(さぼてん)』より:2010年6/10」)
 ブルーノ・ゼヴィ(Bruno Zevi)の『空間としての建築』(青銅社)を栗田勇氏は翻訳していて、そのあとがきで述べている。
……筆者が、ゼヴィの本書とふれたのは、もう四、五年以前のことだが、ゼヴィの柔軟な思考力とその建築観に強い共鳴を覚えたのは勿論だが、何よりも建築家ゼヴィの哲学、思想、文芸にわたる広い教養にうたれた。
 日本の建築家にこれくらいの広いパースペクティヴをもってもらいたいし、ぎゃくに日本の教養人にも、これくらいの建築の教養がもてたら、人生の舞台としての空間体験がどれほど豊かになるだろうかと痛感した。……(p.293)

 さて栗田勇氏は、『現代の空間』(三一書房・1964年)と、『栗田勇著作集4 』(新書館・1969年)所収の「現代の建築」において国立西洋美術館を設計した建築家ル・コルビュジェ(Le Corbusier)の建築について論じている。二著の論の内容は重なっていて、ル・コルビュジェ頌と言うべき批評となっている。7/18(月)NHKの番組「探検!世界遺産 国立西洋美術館ル・コルビュジエの夢〜」で、台東区(立西町小学校)出身の天海祐希さんが、3人の大御所といえる専門家の案内で、西洋美術館の中を探検し、設計したル・コルビュジェの発想と哲学に触れるという運びであったが、それを観てあらためてこの批評を読みなおすと、納得することとなった。
 https://bh.pid.nhk.or.jp/pidh07/RebroadNoticeInsert/Confirm.do?pkey=001-20160718-21-19911(「NHK再放送ウォッチ」)
……多くの場合機能主義者のチャンピオンとされるル・コルビュジェが、ここでは、フランク・ロイド・ライトと並んで、屋上庭園、その他において自然との和解を試みた先駆者としてあげられている点は多いに新鮮な視点を感じさせられるが、コルビュジェが、みどり、太陽、大気といったのは、それを実体的自然の構成要素として導入したのではない点は注意すべきである。コルビュジェにあっては、機械技術において人間化された物質にさえ、自然の根元的秩序をみる地中海的なはなはだ人間臭い秩序の観念がポール・ヴァレリーなどとひとしくみられるばかりでなく、さらにカトリック象徴主義ともいうべき、万物呼応する宇宙秩序、それはたとえば、ボードレールの万物交感=コレスポンダンスにおいてもみられたような、人間=樹木=十字架=森=自然=宇宙といった、きわめて明確な、類比的発想=アナロジーから発していることが重要である。彼のモデユロール(※Modulor:人体の寸法と黄金 比から作った建造物の基準寸法の数列)においても、それは、単に、量産体制からの要請では勿論なく、ギリシャの黄金分割にも比すべき、ピタゴラス教的数の魔術的美学を含むばかりでなく、さらには、いわば神秘主義的自然観を孕んでいた。それが彼の天才的エネルギーの源泉たり得た理由を解き明かす鍵である。……(『現代の空間』p.363)
 
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20150710/1436512724(「数寄者(すきしゃ)の世界:2015年7/10」)