お疲れさま、李麗仙さん

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 舞台女優李麗仙(元李礼仙)主演の舞台は、何回か観ているが、すぐに記事にできるのはむろん唐十郎の作品で、蜷川幸雄演出の『下谷万年町物語』(1981年2月)と『黒いチューリップ』(1983年2 ・3月)、どちらもPARCO西武劇場にて。
 いつだったか、江東区のベニサンピットの入口すぐの薄暗く狭いロビーでこの女優を目撃したことがある。舞台と変わらぬ印象であった。ご冥福を祈りたい。

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 その下町万年町に戦後オカマが棲みついてしまったことが、唐十郎さんの小説に書いてある。もとからいた芸人が、戦後、劇場やお座敷がにわかに消えたために、芸ではなくて身を売らないわけにはいかなくなったためか、それとも純然たる男娼が芸人の町を気やすく思って棲みついたのか、そこは判然としない。正確には藤間茶屋のようなオカマ宿ではなくて、オカマの塒(ねぐら)であろう。そこで商売をするわけではなくて、やはり浅草界隈にお勤めに出掛けてゆくようだからだ。後にふれる車坂あたりに出張したかもしれない。
 唐さんが舞台にしている万年町の年代はどうも昭和30年頃のことらしい。唐さんは当時小学生だろうが、少々馬齢をけみしている私は、この頃はもう大学生で、浅草吉原界隈をうろついていた。もっとも、ゲイ・バーにせっせと通ったということはない。(種村季弘「町の気違い街道」公演パンフレット) 

 

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朝食に半田手延べ素麺

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 今日は朝食に、徳島県美馬郡つるぎ町半田地区の半田手延べ素麺をいただいた。昼食・夕食とも宅配弁当になるため、朝食の機会に食べるほかないのである。ろくに情報を調べないまま宅配購入したので、茹であがった麺を見てびっくり。細麺のうどんといった感じの太さで、日本農林規格JAS)の基準だとこの太さではひやむぎに分類されるが、地域の特性・伝統などから特別素麺の表記が認められているとのこと、納得。こちらはラーメンでも細麺が好みなので、少しがっかり。タレは、キッコーマンのごまダレを使用、薬味にカイワレ大根を少々、コシの強さにも驚いたが、慣れれば美味しく食べられるかと期待。

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 21日(月)の買い物で、スーパーお買い得品に山形のさくらん佐藤錦があったので購入、昨日から食べているが、さすがにバランスよくいい味。たしか記憶では、風呂で食べたりするほどさくらんぼが好きだったらしい、作家の井上光晴のことを思い出してみた。

サルビア・ガラニチカが咲いていた

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 昨日買い物・散策の途中崖の下のところにある藪に、群生して咲いているサルビア・ガラニチカを見つけた。前から生えていたが、数が増えていたので驚いた。怪獣が大きく口を開いたような形のこの花、南米原産だそうで、いかにも酷暑の夏にふさわしい花である。

統計数値の比較:新型コロナ感染による死者数について

    日本共産党山下副委員長の上記の統計数値比較は、ただただ現政権を酷評したい意図から(のみ)とはいえ乱暴である。まずこの感染による死者がどの年齢層に多いのかを見る必要がある。

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       (引用は、https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000716059.pdf  )

 2021(令和3)年1月時点での厚生労働省発表による数値によれば、感染による死者は60代・70代・80代とくに70代以上の高齢者に大きく偏っているのが分かる。したがって高齢者人口の多い国の死者数が多くなるのは、とりあえずはとうぜんと言えるだろう。

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 総務省統計局の数値(2021年)によれば、日本は、65歳以上の高齢者人口(推計値)が3621万5千人、(2018年は)3557万人で世界断トツの1位、その総人口中の割合(2018年)でも28.1%と、2位イタリアの23.3%を引き離し、(アジアでは)韓国の14.4%のほぼ倍、75歳以上に限れば、日本14.2%、韓国6.0%である。〈全体主義的〉管理・統制度の高いマイナンバーカード利用によって新型コロナ感染症対策に功を挙げている(らしい)韓国と、統制度が格段に弱いマイナンバーカードすら導入不能の日本とを単純に比べて、日本叩きをするのは〈いかがなものか〉。

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 かつては北欧諸国を理想の国家として称揚することが多かったが、このところはニュージーランドがまるでユートピア国家のように持ち上げられる。こちらはアイスワインは呑みたいと思うが、とくにニュージーランドについて関心はない。調べると、全人口だいたい500万人で、(65歳以上の)高齢者人口割合が16%あるので、国連定義(14%以上)による高齢化社会ということになる。しかし人口数の分母が日本と比べて甚だ少なく、これで比較はどうか。ニュージーランドの人口密度は、1平方kmあたり18.1人、対して日本は335人。感染対策で3密を避けるべし、とあるが、(田舎は別にして)街も老人ホームも居酒屋もカラオケ店も、日本人は狭い空間に密集して行動・生活しているのである。比較などできるものではない。
 やはり経済環境が近い欧米諸国との比較がいちばん意味があり、日本の対策の是非を評価するときに重要であろう。

 

 

 

「同調圧力」をめぐる比較文化論のインチキ

 

 

 

 

 

 

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アガパンサスが咲いている

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 買い物・散策の途中で、マンションの植え込みに咲くアガパンサスの花に遭遇。かつて白鬚橋を(墨田区側から)渡ったところにある介護付き老人ホームに、老母を見舞い訪れる時バス乗り換えに下車した東武東向島駅近くでこの花を知ってから、親しみを感ずるようになった。多くは青紫色だが、白い花のアガパンサスもある。
 

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歌舞伎鑑賞教室『人情噺文七元結』(国立劇場)観劇

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 昨日6/18(金)、国立劇場・大劇場にて、歌舞伎鑑賞教室『人情噺文七元結』を観劇した。鑑賞教室なので、例によって、(今回は)中村種之助の解説が寸劇、舞台装置(セリ&スッポン)の紹介を交えてあり、些かの勉強にはなった。
 三遊亭円朝=口演、竹柴金作=脚色、尾上菊五郎=監修のこの作品、物語は落語で馴染みであるが、歌舞伎の舞台を観るのは初めて。左官長兵衛役が尾上松緑(四代目)、女房お兼役が中村扇雀(三代目)と大きな名跡の役者で、個人的には昔の(その名跡の役者の)イメージが鮮明すぎて、どちらも初めて知って、時の推移を感じてしまった。
「私の持論、現代において古くさいドラマである人情噺で観客を魅了するには、笑いを入れるべきである。そうしないと観客はこの古い物語に興味を持たない」とは、立川志らく師匠の見解(『全身落語家読本』新潮選書)であるが、2幕目第2場「元の朝兵衛内の場」で、着物を朝兵衛に取られてしまい、訪問客の和泉屋主人清兵衛と手代文七に姿を見せられず、お兼が小道具の小屏風を使って顔だけ出したり引っ込めたりするドタバタは、志らく師匠の落語同様「笑いを入れる」演出で、面白かった。序幕第2場「吉原角海老内証の場」での華やいだ雰囲気は、歌舞伎の舞台でこそ出せるもので、これはどんな名人の落語でも叶わないところか。
 帰路半蔵門線錦糸町駅でJRとの乗り換えで下車、駅近くの星乃珈琲店にて暫時休憩、ひさしぶりに喫茶店で寛ぐ愉楽を満喫できた。

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       ここでチケットを受け取る。

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 2Fレストランで昼食のラーメンを食べる。開演に遅れないよう熱くなく、塩分控えめに調理されている。

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                     緞帳

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 錦糸町駅近くの星乃珈琲店で星乃ブレンドコーヒー&けずり苺パフェ。

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 新しいトートバッグ。ユニクロ+J半袖シャツが濃いブルーなのでピッタリ。

畏友大岡俊明氏の死を悼む

 中学・高校の同窓会誌が届いた。会員訃報欄に、(最近たまたま『橋口守人詩集』を読もうかと思って探していたところなので)詩人・仏文学者の橋口守人氏の名前が出ていることに驚いたが、大岡俊明氏の名前が出ていたので絶句。
 中学1年のときに同じ学級となったが、ちょうど後ろの席にいた大岡君が大きなストックブックを見せてくれ、見たこともないヨーロッパの美しい切手がグラフィン紙のポケットに整然と収まっていた。ピンセットでドイツの1枚の切手を取り出して眺めさせてくれたりした。違う世界の住人のように思えたものだった。
 文藝部に所属し、高校になってから何回か「入部しないか」と誘われたが、こちらは学校の外部に同人誌を作っていたので、断っていた。
 生徒会新聞に掌篇小説を発表したとき、その新聞の編集・発行の責任者が大岡君で、こちらはいまは亡き銅版画家深沢幸雄門下の美大生K子さんに、二人展を観た関係で挿画を依頼し、原画を印刷に送っていたにもかかわらず、その挿画が掲載されていなかった。印刷担当の後輩が平謝りして来て、ミスとして納得していたが、卒業後何十年も経ってどうやら大岡君が勝手にありきたりのイラストと取り替えてしまったらしい。この件について大岡君の歯切れが悪く、申し訳なさそうな、何か隠している印象だったので気が付いたのであった。その後憧れのK子さんに、あまりのすまなさで会えなくなったのはいうまでもない。
 大岡君は東京大学文学部東洋史学を卒業してから、駿台予備校の世界史講師となり、20代にして岩波の『思想』に論稿を載せるなど、俊秀ぶりは変わらなかった。カリスマ講師として(東大)受験世界史の世界で君臨していたのであった。ふつうの人間なら引退後も満足の人生であったかもしれない。しかし大岡俊明は、やはり文学の徒であった。文藝部の先輩・後輩らと同人誌活動を始め、現代詩の作品を発表し続けた。山之口貘を敬愛する詩人であったのだ。受験生にとっては〈神〉に違いないカリスマ講師、何億稼ごうがそんなものは何者でもない、そう自己相対化・批評せずにはいられない、そこに文学(の営為)に参加する者の資格があるのだ。
 お互いに書いたものを送り合い、感想・批評を述べ合う、そういう関係が長く続いていた。そこに突然の訃報であった。
 2012年『暁光以後』9号掲載の「現代詩四題」の「冗談」最後の第4聯、

花と虫を見ているこのごろ
鳥と風を見ているこのごろ
人生の落とし所が
花鳥風月であったなどと
おっかしくって言えたものじゃないのだよ。

 そして、「感謝・跋文」と題された詩、
盛大でなくともよい、ダルにならぬよう
儀式ばらずに普段の調子で でも
若干の刺激、わずかの苦と楽
我が通夜、葬式、告別の時に
使ってほしい貯金積み立て
書きためて、参列者御一同各位に
心、なかんずく愛情をこめての
冗談、軽口、ほめことば、些少ながら
香典返しとは別に一人頭なにがし
読み代をつける
必ずやその場で読まれたし
声を出し、しばらくの談笑の種
(故人のことはそっちのけでOK)
ご足労かけることへのお礼、外れ
のない福引きも計画・準備中
浅からぬ因縁、是非とも来られんことを
何が何でも
私より長生きされて、その日をおたのしみに。
 

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  (2010年10月の高校同窓会会場にて、大岡俊明氏と)




 

さすが、おフランス!

 

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おかえりピクシー

 

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 1996(平成8)年元旦国立競技場での第75回「天皇杯」決勝戦名古屋グランパス(エイト)優勝

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 2001年10/6豊田スタジアムで催されたストイコビッチの引退記念試合「PIXY THE FINAL」は、むろん観戦。前半はRedstar Beogradのメンバーとして、後半は名古屋グランパスのメンバーとして、自由自在に動き回り、とくに後半FWウェズレイ選手との連携によるゴールは美しく感動的であった。