NHK朝ドラ『スカーレット』の八郎はえらい

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f:id:simmel20:20200210184722j:plain川原喜美子を演じる戸田恵梨香NHK公式サイトより拝借)

 離婚してからも川原家に武志(伊藤健太郎)の養育費を送り続けている八郎(松下洸平)は、えらい。ヒロインの陶藝家川原喜美子を演じている戸田恵梨香のドラマは、はじめて観るが、演じる表情が魅力的、女優本体はとうぜんだろうが美形で、これからは応援したい。

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……日本では母子家庭で養育費を受け取っている割合は24.3%に過ぎない現実がある(厚生労働省平成28年度全国ひとり親世帯等調査』より)。……

 

 

最後の一滴:作(ざく)新酒・純米大吟醸1800ml

 

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 2/9(日)はふだんは休肝日であるが、2/7(金)に呑んでいなかったので、昨年暮れにいただいた作(ざく)新酒・純米大吟醸1800mlの最後の一滴を、パルコ地下魚力で買ったつぶ貝の寿司を肴に呑んだ。

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マスクをめぐる〈日米比較文化論〉

 2/8(土)は、長男がKくんを連れて訪問。二人ともマスク装着で笑ってしまう。お土産は、FLO<フロ プレステージュ>のショートケーキと東京ディズニーランドのクッキー缶、そして何とマスクの束であった。「マスクはずーっと同じのを愛用している」と言うと、「それじゃあマスクの用を成さないよ」とのこと。ありがたく頂戴した。

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 孫の小学1年生Kくんと一緒に、NHKEテレのアニメ『スポンジ・ボブ』を爆笑しながら鑑賞した。なかなか利発な子だ。いまはビックリマンシール収集に凝っているらしい。また流行ってきたのか。昔製造元だった亡き知己のK社長からいただいた、(当時は入手は困難な)ビックリマン特別仕様下敷き数枚をプレゼントした。登場人物のキャラが違っているようで、あまり感動していなかったのは残念。

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 アメリカ人はひとの口の開け閉めを注視して、表情や表現を判断するのに対し、日本人は目のほうを重視するので、それぞれのマスク装着に対する抵抗感の違いが生まれるのではないかとの、マスクをめぐる〈日米比較文化論〉の仮説は興味深い。何れにせよ、使い古しはよくないので、観劇に東京に赴いた場合は、使用マスクは廃棄することにしたい。

 ✻「生る」→「なる」ご本人訂正。

『群像』3月号を買う

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 1週間ぶりに外へ買い物に出て、パルコのACADEMIAくまざわ書店に寄り、文藝雑誌『群像』3月号を購入した。文藝雑誌など買うのはじつにひさしぶりである。絓秀実氏の論考「小説家・大江健三郎」を読むためのみである。他の作品・評論など読むつもりはまったくない。いま読んでいる本ほかを読み終えて、その意欲が生まれたとき、絓秀実氏の大江論を心して読む予定である。

 

 

 

カーク・ダグラスを悼む

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  ジョン・スタージェス監督、バート・ランカスター(保安官ワイアット・アープ役)共演『OK牧場の決斗』のドク・ホリデイ役も魅力的であったが、個人的には、ロバート・アルドリッチ監督、ロック・ハドソン(保安官ダナ・ストリブリング役)共演『ガンファイター(The Last Sunset)』のブレンダー・オマリー役のカーク・ダグラスがいちばん印象的であった。東映任侠映画の『唐獅子牡丹』とはまた違った、男の友情の潔さと美しさを知った映画体験であった。大往生、ご冥福を祈りたい。

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批評家江藤淳再評価

 

 文藝批評家(文藝評論家)江藤淳について論及する文章に少なからず出会う昨今である。1999年7月自ら命を絶った江藤淳について、桶谷秀昭氏が『日本経済新聞』同年7/24号紙上に追悼文を寄せていて、これは(個人的には)何度も読み返したいみごとな追悼文である。
 作家・詩人のように作品を残すためではなく、「生きるために書く」文学の独身者(小林秀雄)であった 批評家江藤淳は、「愛妻に死なれ、生活上の独身者たることを強いられて、生きるために書くことを断念したのだ」と訃報を受けた衝撃の後、桶谷氏は「思うようになった」。むろん「だからといって、心はすこしも晴れないのである」。


 生活を藝術化する浪曼主義的衝動というものがあり、藝術を生活化するレアリズムの態度がある。
 江藤氏はどちらかといえば、後者の傾向をもつ文学者であったと思う。
 批評文は、“クリティーク”という言葉が含意するように、“危機”的状況に自分を立たせることを強いられる。強いられつつも、そこをきりぬけて生きなければならない。
 江藤淳氏はそういう批評家の役割によく耐えて生きてきた人である。彼の批評文には、繊細な感性と鋭敏な知性のバランスがよくとれていて、過度の自虐におちいることがなかった。矛盾、ジレンマの極限相にあえて自分を追いこまない平衡感覚がよくはたらいていた。
 しかし、江藤氏のながい文業をふりかえって気がつくのは、年々にその文章にかなしみの色が濃くなってきたことである。
 彼は生きるために書くのであるが、では、何のために生きるのかと問うてみれば、やがて死ぬためである。そんな声が文章の行間からきこえてきた。

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ファム・ファタール ルー・ザロメ命日

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 ルー・アンドレアス・ザロメ(Lou Andreas-Salomé)が亡くなったのが、1937年2/5。つまり今日が命日にあたる。リリアーナ・カヴァーニ監督の『ルー・サロメ 善悪の彼岸』は、ルー・ザロメサロメ)を中心にして、ニーチェパウル・レーの男二人が関わる物語。ルー・ザロメサロメ)を演じるドミニク・サンダが魅力的な映画であった。史実では、詩人のリルケもルー・ザロメに人生を掻き回された男であるが、この映画には登場しない。ニーチェは俗物的に描かれていて、惜しみなく裸体を晒すドミニク・サンダのルー・ザロメのみがひたすら妖しく輝いている、という映画である。

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 リンデ・ザルバー『ルー・アンドレアス=ザロメ 自分を駆け抜けていった女』(向井みなえ訳、アルク出版企画)のブックレビューで、鹿島茂氏がザロメについての真実を書いている。 

 そうだったのか! ルー・ザロメにとって人生の第一義は「考えること」であり、その生涯を彩る愛や性は二義的なものにすぎなかったのである。ニーチェに接近したのも「彼とともに考えたかった」からであり、ニーチェが彼女の魅力にひかれて結婚を申し込んだのは想定外のトラブルに過ぎず、ニーチェパウル・レーとの性関係なしの「三位一体」生活こそが本気も本気、大まじめな希望だったのである。

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柑橘類の季節

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 温州みかんが水気を失い味も落ちてくると、伊予柑・はっさくの昔からあるものに続いて、果実コーナーには個性的な名前の柑橘類の交雑種が並ぶ。先週ははっさくの後デコポンを食べたので、今週は清見とポンカンの同じ交雑種とのはるみを買ってある。デコポン以上に薄皮が薄くやわらかい感じで袋ごと食べられるのは、ありがたい。適度な酸味と甘さのバランスよく、噛んで食べるジュースといった印象。

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大河ドラマとW長谷川

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 2/2(日)放送のNHK大河ドラマ麒麟がくる』では、明智十兵衛光秀(長谷川博己)と斎藤高政=義龍(伊藤英明)が馬に乗って林に赴き、鉄砲の試し撃ちをする。そして義龍は、将来の美濃をどう統治すべきか、戦さにばかり卓越した才を発揮する父道三(本木雅弘)を批判し、来たるべき時に光秀に協力してくれと秘かに頼む場面、今後の展開を予兆し暗示的であった。じつは最新の学術的研究成果を踏まえていること知り、感心させられた。戦国物語といえば、斎藤道三ばかり目立っていたが、このドラマを契機に義龍がすぐれた武将であったことが注目されるだろう。

 『麒麟がくる』には、歴史上実在した人物ではない、物語のオリジナルキャラが登場している。医師の望月東庵(堺正章)、その助手の駒(門脇麦)、百姓菊丸(岡村隆史)、旅藝人一座の女座長伊呂波大夫 (尾野真千子)など。だいたい主人公の明智光秀じたいその出自にして判然としていない世を扱っているのであるから、実在した人物および事件に関して史料上の根拠を無視して描くのでない限り、ドラマ展開上の〈歴史離れ〉はあって構わないだろう。トルコの大河ドラマオスマン帝国外伝』でも、後宮女官長のニギャールという女性を登場させて、物語の展開に大きく関わらせて面白くしている。(最も人生の悲哀を感じさせた登場人物であった。)ただ、学術的研究でのみ明らかになる史実と、面白いということが至上命令の物語は違うのだ、という認識を忘れないことだ。

  NHK大河ドラマ長谷川博己といえば、2013年綾瀬はるか主演の『八重の桜』を思い起こす。会津藩川崎尚之助を演じたのが、長谷川博己。維新の戦乱で、八重(綾瀬はるか)と離れ離れの人生を生きることになってしまった尚之助の、限りないやさしさのオブラートで包んだ絶望と悲哀を、みごとに演じていた。

 さてこの『八重の桜』にはもう一人の長谷川が出演している。八重の兄山本覚馬(西島秀俊)に嫁いで、やはり戦乱により別れて会津の山里に孤独に生きる運命となった樋口うらを、長谷川京子が演じている。視聴者も涙するほかはない晩年の姿であった。
 その長谷川京子が、世田谷パブリックシアターで、シラーの『メアリ・スチュアート』のメアリ・スチュアートを演じる。男長谷川の明智光秀もいいが、女長谷川のメアリ・スチュアートも期待するところ大である。

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孫Aちゃん誕生日

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 2/2(日)は、孫のAちゃんの誕生日だった。スマホの家族LINEで祝福のメッセージを送った。チビちゃんなのに早生まれで、これから学校では苦労しそう。4月から幼稚園の年中組、早いものである。リズム感がいいようで、ピアノを習いたいとのこと、まずは両親がキーボードを買ってあげるようだ。わが家のカワイ・アップライトピアノは永く調律もしておらず、業者に買い取ってもらおうかと思案していたが、必要になるかもしれないので置いておくことにした。

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