アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカ(ソプラノ)=タイトルロールの『サロメ』観劇

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 5/30(火)は、新国立劇場 オペラパレスにて、故アウグスト・エファーディング演出・三浦安浩再演出、コンスタンティン・トリンクス指揮の『サロメ』を観劇。この演出・再演出の舞台は、2011年に観劇している。そのときは、指揮ラルフ・ヴァイケルトで、タイトルロールを歌ったのは、エリカ・ズンネガルド。舞台設定・装置はとうぜん同じ、アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカの歌唱のみに集中して愉しんだ。官能性が十分感じられた七つのヴェールの踊りを含めてすばらしかった。能楽序破急を思わせるサロメ王女の変貌と狂気を、このソプラノ歌手がみごとに歌い上げた。ヘロデ王の「あの女を殺せ」の命令で、サロメに兵士らの剣が襲いかかるところで急速で幕が降りたのも、息を呑んで衝撃的な演出。そして拍手の間を置いて、すぐのカーテンコールにペンダチャンスカ一人が真っ先に現われたのも新鮮で、面白かった。コンスタティン・トリンクス指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の音も、緊張感と衝撃的展開に寄り添ってよかった。なおタイトルロールのカヴァーに大隅智佳子の名が記されていて、驚いた。2011年東京二期会オペラ劇場公演、ペーター・コンヴィチュニー 演出の『サロメ』で聴いていたからだ。これは現代に時代を設定した舞台であった。もう一人森谷真理と、日本を代表するソプラノ歌手の二つのサロメを聴いている。

 帰宅途中、JR本八幡駅構内の(神戸の洋菓子店)ア・ラ・カンパーニュにてお茶。苺のタルト、ガトー・オ・フレーズ・ソワイユは量も多く堪能した。

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▼今回の『サロメ』は、亡きアウグスト・エファーディングの演出を、三浦安浩が再演出したもので、正面奥にヘロデ王の宮殿があり、その前庭が中心の舞台。中央に大井戸を塞ぐ丸い蓋が印象的である。はじめて観た、「ウィーン国立歌劇場」(1980年10/2NHKホールにて。サロメ=レオニー・リザネック)の舞台では、こんなに巨大な井戸ではなかった。聖なる世界と、欲望渦巻く俗の世界とを隔てる仕掛けの象徴性が際立っている。
 沈鬱な表情で登場するサロメは、喪服のような黒い衣装であったが、ヘロデ王の懇願を受け入れて「七つのヴェールの踊り」を踊る時には、深紅のダンス衣装に着替えている。ヨハナーンへの狂おしいほどの恋の欲情は、深い孤独に促されているのだということが視覚的によく理解できる。サロメのエリカ・ズンネガルドのソプラノはよく通り、妖艶なダンスに乱れなく、七つ目のヴェールをとって臆せず露にした張りのあるバストも、大王の権力を一瞬黙らせるには十分美しかった。「19世紀後半、文学と詩のジャンルのアイデンティティが問われた時代に、サロメのヴェールの向こう側に文学者たちは裸体だけではなく、究極的に言語には還元しえない文学の自立性を見ようとした。21世紀の今、私たちはサロメのダンスの向こうに一体、何を見ようとするのだろうか」(大鐘敦子関東学院大学教授・パンフレット)とのことであるが、「裸体そのものへ!」と視線が釘付けになって、視線は「その向こう」には及ぶことはなかったのである。管弦楽は、「東京フィルハーモニー交響楽団」、指揮はラルフ・ヴァイケルトであった。▼(2011年10/20記)


▼2/26(土)に、上野の東京文化会館東京二期会公演オペラ、ペーター・コンヴィチュニー演出、シュテファン・ゾルテス指揮の『サロメ』を鑑賞。(競馬「東京新聞杯」「共同通信杯」と重賞3連複連続的中の払い戻し金で、S席前列5列のチケットを入手したのであった!)核シェルターのような閉鎖的な空間で繰り広げられる倦怠と頽廃(輪姦・屍姦・人肉食その他なんでもあり)、つまり「欲望の飽和(純化学用語のsaturationは比喩としても使用しないほうがよいようだ)」の状態が現代であるとし、サロメの愛の真実を希求する生き方こそが、そこを脱出できる可能性であり、希望であるとの、演出家のメッセージである。
 いままでオペラの『サロメ』の舞台は、レオニー・リザネックがサロメの「ウィーン国立歌劇場」公演(NHKホール)と、田月仙=チョン・ウォルソンがサロメの「東京オペラ・プロデュース」(PARCO SPACE PART3)の二つだけ。演劇では、スティーブン・バーコフ脚色・演出のもの(銀座セゾン劇場)と、美加理がサロメの、宮城聰構成・演出の劇団「ク・ナウカ」公演(日比谷公園・草地広場)を観劇。アイーダ・ゴメスがサロメの、カルロス・サウラ演出の舞台は、「アイーダ・ゴメス スペイン舞踊団」による舞踊劇。いずれも力を感じた面白い舞台であった。今回は、異色すぎる演出であったが、「異化効果」のブレヒトと、演劇の壁を取っ払う寺山修司ブレンドの演出であり、「西洋の没落」というすでに旧くして新しい主題の提示と考えれば、それほど衝撃的ではない。むしろサロメがまったく脱がず、死なないことが驚きである。

 ともあれ魅力は、終幕の「愛の神秘は死の神秘よりも深い」などと独唱する、大隅智佳子サロメ)のソプラノの美しさである。心地よい興奮を覚えた。最後に観客席から「あの女を殺せ!」と日本語で怒鳴らせた演出にも、とくに戦慄することなどなかった。舞台と客席との壁を壊す試みは、すでに宮本研のときから日本演劇で企てられてきたことである。▼(2011年2/27記)

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   ー  2003年7月日比谷公園・草地広場にて、ク・ナウカ公演、宮城聡演出『サロメ』ー