歴史を「事実」でしか読み解かない観点を否定して、人々の虚構や偏見を括弧に括った上でそれでもそれも含めて考えたという点で、渡辺京二は最後の「精神史家」というべき人です。個人的に近代批判等々はどうでも良く良く、ルフェーブルやウィリアムズなどと比較されるべき人という認識です。 https://t.co/fBUDg2XkMx
— ミスター (@hahaha8201) 2022年12月25日
お年がお年だけに、ひそかに覚悟みたいなものはしていたけれども……。・゚・(ノД`)・゚・。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年12月25日
「おりる」ということ――渡辺京二の方法意識について - king-biscuit WORKS https://t.co/dRn1Lp76Qs
昨日でわが庭の剪定作業が終わった。植木屋さん(船橋市の委託事業)3人で3日間(正味2日間)かかって、ゴミ袋数十個、例年通りのこと。立寒椿(山茶花)とあちこちに生えている万両の実のそれぞれの鮮やかな紅色がくっきりと目立つ、小さな風景。植木屋さんが庭の手入れ作業をしている家は、みな古くから住んでいる人たちの邸宅ばかりである。こちらも昔住み着いたときは茶畑ほか畑と草地ばかりの土地で、買い物に出ても駅前にごく小さなスーパーが1店舗あるだけであった。その進出を大歓迎したPARCOの来春の閉店を別にして、いまは新興の住宅とマンションが次々に建てられ、群舞する玉虫を賛嘆し、トノサマバッタを追いかけていた時代とは隔世の感がある。
私は渡辺京二を批判した論文を本人に送ったが梨のつぶてだった。
— 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ (@tonton1965) 2022年12月25日