私も一般献花の列に並びました。
— 田村 和広 (@alphamath7) 2022年9月28日
この記事は事実です。
一般論として、テレビなどで報じられる「真実」は、現地の実相とは大きくかけ離れています。いわゆる「メディア・イベント」を針小棒大に報じる傾向があり、望遠レンズによる空間圧縮などの技術により、”疎”を”密”に魔改造することは簡単です。 https://t.co/LQEUSxrNyO
BBC の日本報道はこういう感じで「コロニアル」。だから日本でポストコロニアル・スタディーズや表象研究が発展するはずだわね。「日本人は海外メディアでどのように表象されているのか」というやつ。 https://t.co/FOgxaPDXVk
— 小菅 信子 KOSUGE Nobuko M (@nobuko_kosuge) 2022年9月28日
界隈に共通した目つき… https://t.co/hRUHq472Ye
— 猫組長 (@nekokumicho) 2022年9月27日
国葬儀については、終始一貫、マスメディアのミスリードが残念でした。
— 💙💛 斉藤 淳 💙💛 (@junsaito0529) 2022年9月27日
他の方の呟きにもありますが、国葬についての世論調査は、サンプリング、ワーディング含め欠陥があったのではないでしょうか。いろいろ怪しさが残りましたね。
今インタビュー受けているシールズ(笑)の福田和香子さん、この後も #NHK と共にベッタリと一緒に行動しているわけだが、一般参加者みたいに報じるのはどうなんですかねww#ニュース7 pic.twitter.com/EeFE9h4QHG
— デカ旗 (@tanikiri17) 2022年9月27日
最後の最後まで、マスメディアと野党と活動家は一方的に国葬儀を非難し続けました。日本社会がテレビと新聞のプロパガンダを異様に信じてその論調通りに思考改造されてしまう世界有数の思考停止社会であることに多くの国民は全く気づいていません。まさにカルトの独壇場ですhttps://t.co/aLqVQ2J6NE pic.twitter.com/iGl1zBBfik
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) 2022年9月26日
朝日新聞以下、「統一協会」に絞って今なおアベガー延長戦をやっとるマスメディア界隈、何が何でも反自民&与党で目標は「倒閣」「政権交代」なのだとして、もはやそういう振り切れ方自体が、マスメディアの「公共性」への信頼を決定的に毀損していることにどうしてこうまで無自覚なんだろう。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年9月24日
今朝の「フジテレビ・めざまし8」の電話取材も受けていましたが、「別トークとの兼ね合い」を理由に報道されませんでした。こちらでも、45万人の想いを扱ってもらえず、残念です。デジタル献花のことを知ればこそ、気持ちに整理がつく人もいたと思うと悔やまれます。#デジタル献花 #めざまし8
— 安倍元総理デジタル献花プロジェクト (@arigato_abesan) 2022年9月28日
日本の元安倍首相の国葬に対するフランスのニュースをざっと見てるけど、
— ulala フランス在住の著述家 (@ulala_go) 2022年9月28日
デモの写真とかはあるのに、
長い献花の列を写している記事がない。
お金と、統一教会と、国が分裂しているって言っている記事ばかり。
麹町のオフィスから見た一般献花の列。これが九段下の方面までずーっと続いている。さっきまでここが最後尾だったけど、どんどん列が長く太くなっている。
— Kenn Ejima (@kenn) 2022年9月27日
大きな声で反対を叫ぶ国葬反対のデモと、ただ静かに並ぶ長蛇の列。 pic.twitter.com/J525Dt4CAz
▼ダニエル・J.ブーアスティン(Daniel J. Boorstin)のメディア論の古典『幻影の時代』(星野郁美・後藤和彦訳:東京創元社)の「疑似イベント」の言葉を、改めて思い起こさせる。
……合成的な新奇な出来事(イベント)がわれわれの経験には充満しているが、私はそれを「疑似イベントpseudo-events」と呼ぶことにする。このpseudoという接頭語は、「偽物の」あるいは「人をあざむくための」という意味のギリシャ語から来たものである。……(同書pp.17~18)
……出来事を報道し、複製するこのような新しい技術が発達した結果、新聞記者は出来事の起こる以前に、起りそうなイメジ(※訳者は、ブーアスティンの用例に即してあえてイメジと訳す)を描き、報道を準備しておくという誘惑に落ち入った(※陥った)。人間はしばしば自分の技術を必需品と感違い(※勘違い)するようになった。読者や観客は、報道の自然さよりも、物語の迫真性や写真の〈本当らしさ〉を好むようになった。……(同書p.22)2014年9/13記
【追加:バルザックの新聞記者論】
▼バルザック(1799〜1850)の『ジャーナリズム性悪説』(鹿島茂訳・ちくま文庫)の最初は、「政治ジャーナリスト」としての新聞記者について論じている。「五つの変種」を分類し、「押しの強い男か、世渡り上手な男かのどちらか」である社長兼編集長兼社主兼発行人の次の変種として、テノール(冒頭社説記者)を俎上に載せている。以下は、解説記者、ジャック親方(何でも屋)、国会記者である。「劇場に大当たりをもたらすテノール」に喩えられる冒頭社説記者とは、「必ず一般紙の一面トップを飾る長い記事」の冒頭社説を書く記者のことであり、この仕事に従事する者は、「自己の精神を歪めずにいることはむずかしいし、また凡庸な人間にならずにいるのも困難である」としている。痛快である。
……細部の違いを別にすれば、冒頭社説には二種類のタイプしかない。野党型と与党型である。もちろん第三のタイプもあることはある。しかし、のちほど見るように、この型の記事はまれにしか登場しない。野党型の冒頭社説の記者は、政府が何をしようと、必ずなにか難癖をつけ、非難し、叱責し、忠告しなければならない。一方、政府側の冒頭社説の記者は、政府がどんなことをしでかそうと、必ずそれを弁護することになっている。前者は常に変わらぬ否定であり、後者は常に変わらぬ肯定である。もっとも、同じ陣営でも、新聞によって文章の色調に若干の違いがみとめられる。というのも、各陣営の間には中間党というものが存在しているからである。ところで、どちらの陣営に属する場合でも、この職に就いて何年かするうちに記者たちは精神にたこができて、ある種の決まった物の見方をするようになり、一定数の紋切型だけで食いつなぐようになる。……(同書pp.33~34)2014年12/9記
ではミヤネ屋をソースとした他社のネットニュース(関連度上位5)を見てみよう。昨日、1週間前、2週間前、1ヶ月前。ミヤネ屋も世の中も統一教会では視聴率やPVを稼げなくなっている。これが理由で統一教会追及はフェードアウト。地獄の沙汰も金次第、なのだろうか。 pic.twitter.com/bvumbT6n5V
— カトウB/ケイ・ハラ組 (@mostsouthguitar) 2022年9月28日
#安倍元首相の国葬、ほんとすごかったですね。
— ulala フランス在住の著述家 (@ulala_go) 2022年9月27日
そして、ここまで報道されていることと、現実が剥離しているっていうのもすごいと思いました。
テレビ離れは各テレビ局の低レベル化が原因。
— うに🇯🇵 (@unisuke178) 2022年9月28日
偏向報道
印象操作
無責任なタレントコメンテーター
父がTBSのインタビューを受けることになった時、父は話す内容を真剣に準備していたのに、当日「この通りに話してください」とシナリオを渡されました。
つまり、テレビ報道は閉じられた世界なのです