2/11(土)は、東京上野の東京文化会館大ホールにて、東京二期会オペラ劇場、川瀬賢太郎指揮、宮本亞門演出の『フィガロの結婚』を観劇。愉しいひと時を過ごすことができた。前列4列目13番通路側端の席という、わが理想の席。軽快な序曲の後幕が上がると、予想外に美しいスザンナ(種谷典子:ソプラノ)と、フィガロ(近藤圭:バリトン)が、アルマヴィーヴァ伯爵(与那城敬:バリトン)から与えられた二人の召使い部屋で、夕方の結婚の宴を前に戯れ合う場。種谷典子は初めて。3月のリサイタルのチラシに「美しさと実力を兼ね備えた注目の若手ソプラノ」とあるが、その通りの印象。黒い衣装で現われた女中頭マルチェリーナ(藤井麻美:メゾソプラノ)と戸口で出るのを譲り合う小合唱は、声の重なりに遊び心あり心地よい。ここで引き込まれてしまう。アルマヴィーヴァ伯爵の与那城敬は安定の声と佇まい、この4月の新国立劇場オペラ、わが推しの森谷真理出演の『ばらの騎士』(本日新国立劇場会員先行予約なのに失念、いま何とか13列目を押さえた)では、ファーニナル役を歌う。ケルビーノ役の郷家暁子(メゾソプラノ)も可憐で魅力的だが、何といっても、高橋絵理(ソプラノ)の伯爵夫人の第2幕の独唱(カヴァティーナ)と第3幕の気品のあるレチタティーヴォとアリアに感動した。
二期会合唱団の歌声も素晴らしかったが、全員マスクを着用していたのは可笑しかった。
フィナーレはおみごと。昔たしか『新日本文学』誌に発表された花田清輝の戯曲『ものみな歌でおわる』の題名のもとは、ボーマルシェ原作の最後の言葉 「Tout finit par des chansons.」で、それに倣えば「ものみな祝祭でおわる」との宮本亞門の演出で、伯爵夫人の許しの後大団円、伯爵を中心に一同舞台に揃うと、客席めがけて連続してパッと照明が放たれた。何で、東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の演出をこの演出家に委嘱しなかったのであろうか。夏のワーグナーの宮本亞門演出『パルジファル』も期待が大きい。
(観劇帰宅後の晩飯は、定番のオリジン野菜炒め弁当)
宮本亞門氏は個人の自由権を行使しただけです。もちろん私はこんな醜悪な演出で自己呈示する演出家が関係するありとあらゆるコンテンツを一生ボイコットしますが。そしてもちろん何人であろうと、宮本亞門氏のありとあらゆるコンテンツを一生ボイコットすることは個人の自由です(笑) https://t.co/Vk9Iu4M2vS
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) 2022年9月14日
「どうして僕に?」←宮本亜門さんは芸術家(演出家)として成功する過程で日本の公金を使ったプロジェクトに参加したり、支えてくれたりしたんですよ。そして安倍さんは、日本のリーダーを務めたこともある、そういう関係。相手を好きか嫌いかのフィルターが人格まで歪めているのを見るのは辛いな。 https://t.co/jZguCTqdj6
— 山翠💉💉💉💉+💉 (@kx3g) 2022年9月13日