東京二期会オペラ『蝶々夫人』観劇

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 昨日10/3(木)は、東京上野の東京文化会館大ホールにて、東京二期会オペラ劇場、宮本亜門演出、アンドレア・バッティストーニ指揮、高田賢三衣裳デザイン、東京フィルハーモニー交響楽団による、ジャコモ・プッチーニ作曲『蝶々夫人』を鑑賞した。

 タイトルロールを演じるソプラノ歌手はダブルキャストで、春の東京二期会オペラ劇場『サロメ』で魅了された、森谷真理出演の昨晩の舞台を選んだ次第。『蝶々夫人』の生の舞台を観るのは、今回が初めて。プログラムのストーリー紹介を読めば、演出の工夫と仕掛けはただちに理解できた。商業メディア慣れしたこの演出家へのインタビュー記事は読まない。観客の前に提出された作品としての舞台がすべてであるから。

 幕があがると、病院の一室で余命幾ばくも無さそうな男の患者の側に、若い男と妻と思しき婦人が付き添っている。この患者こそ、「蝶々さん」から幼い男の子を奪いアメリカに連れてきて、その妻との間に生まれた子と偽って育てきたピンカートンであった。みずからの死を前にして、30年前の父と、裕福であったが没落した武家出身の藝者であった蝶々さんとの長崎での〈偽装結婚〉のこと、そしてきっかけはともかくそこに真実の愛が存在していたことを、成長した息子に知ってもらうべく物語を認めた遺書のようなものを渡す。つまり30年後の病室で息子が二人の過去をなぞっていくという小説的な構成に設定されている。長崎で子供と引き裂かれ、帰りを待ちわびていたピンカートンに正式の妻がいることを知らされた蝶々さんが自刃したとき、坂を登ってくるピンカートン中尉の「蝶々さん」という声が蝶々さんの耳に届く、という展開を、宮本演出では、終幕、医師から「ご臨終」の診断があって、息子と二人だけになってから、突然「蝶々さん」と大声を発してピンカートンは命果てる。結ばれることのなかった愛に殉じた蝶々さんへの鎮魂と、苦悩の生涯を生きることになったピンカートンへの赦しのドラマとして、この物語を完結させたのであろう。二人が手をつないで後景に歩いていくシルエットは感動的であった。 Bravi!である。

 第二幕のアリア「ある晴れた日に」の森谷真理のソプラノは、親類からの縁切りがもたらした孤絶と屈辱、そして貧乏に苦しみつつ港への軍艦の寄港を待つ蝶々さんの絶望と希望が綯い交ぜになった感情を、切々としかも情熱的に歌い上げ、不覚にも涙を抑えられなかった。Brava!

 ボリス・クドルチカの淡色系のシンプルでみごとな装置にも支えられつつ、高田賢三の衣裳デザインには目を見張った。長崎藝者衆が身につけた着物の色彩の鮮やかさも素晴らしいが、それぞれの場での蝶々さんの衣裳が斬新で美しい。第二幕での下着のような普段着は、蝶々さんの艶かしさも暗示していて、恋に落ちたピンカートンの〈欲望〉も浮き立たせてくれるのである。

「土に涙を流したので、土は花をくれたの」と、ピンカートンの乗る軍艦が長崎港に泊まったのをしかと確認して、庭の花を摘みながら歓喜する蝶々さんが歌う台詞、このことばにいちばん酔わされた。これのみで、Brava! 

 宮本亜門演出の舞台をそれほど観ているわけではないが、ジャンルを超えてこのオペラの舞台が最も感動的であった。なお、東京二期会オペラ劇場の公演は、ザクセン州立歌劇場、デンマーク王立歌劇場、サンフランシスコ歌劇場との共同制作である。

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 東京文化会館売店のサンドウィッチの夕食で小腹も空いたので、帰路ローソンに立ち寄りとろろ蕎麦を買って帰宅後すぐ食べたが、これがなかなか美味しかった。支払いはむろんクレジットカード払いである。

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