新国立劇場オペラ『ばらの騎士』4/12(火)観劇

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 4/12(火)新国立劇場にて、リヒャルト・シュトラウス作曲、ジョナサン・ミラー(2019年11月逝去)演出、サッシャゲッツェル指揮&東京フィルハーモニー交響楽団の『ばらの騎士』を観劇。アトレ会員の先行発売日を失念、当日夕方申し込んだため、座席が13列の12番。矯正視力が0.7のこちらとしてはやや後ろ過ぎ。第1幕の初めのところ、元帥夫人(アンネッテ・ダッシュ:ソプラノ)とオクタヴィアン(小林由佳メゾソプラノ)のやりとりがはっきりしなかった。慌てて持参のオペラグラスを取り出し、字幕スクリーンでたしかめてからオペラグラスで舞台を眺めることになった。1幕目最後、元帥夫人マルシャリンが鏡に向かって己の容姿の衰えを嘆くアリアに涙した。「修道院から出たばかりの時は可愛いテレーズ(レジ)と呼ばれていたのに、いまは元帥夫人のお婆さんと呼ばれる」と悲しむ。そして女装を改めて再び登場した年少の恋人オクタヴィアン(愛称カンカン)に「カンカン、今日か明日かは知らないけれど、あなたは去って行く。別の人のためにー私よりももっと若く、もっと美しい人のために私を捨ててしまう」と。オクタヴィアンはそんなことは信じられない。しかし第2幕、時おりワルツ(のようなもの)を口ずさみ踊る「ちょい悪オヤジ」のオックス男爵(妻屋秀和:バス)の代理人として婚約の証しの「銀のばら」を届けた相手、富豪ファーニナル(与那城敬:バリトン)の娘ゾフィー(安井陽子:ソプラノ)と一瞬にして恋に落ちてしまうのである。第3幕の元帥夫人、ゾフィー、オクタヴィアンの三重唱は、元帥夫人の老いることの哀しみ、恋を諦めなければならない決意と納得の切なさ、ゾフィーの本当に自分は愛されているのかという疑いと激しいオクタヴィアンへの思慕、オクタヴィアンの元帥夫人の励ましへの感謝と申し訳なさ、そしてもはや否定できないゾフィーへの愛、この三者の思いが交錯しあって、ソプラノとメゾソプラノの圧倒的な美しさで歌われる。(春のアレルギーもあって)感動の涙で、目が痛くなってしまった。
 公演プログラムの小宮正安横浜国立大学院教授の解説によれば、この作品(原作ホフマンスタール)の舞台は、18世紀のウイーン。「終わりを告げようとしている貴族文化と、胎動を始めた市民文化の、一瞬の共存」の時代であり、「もう一つの世紀末・世紀転換期といえる」時代であった。そしてこの作品が書かれたのが19世紀であり、1873年ウイーンを舞台にした万国博覧会が催され、その開催の数日後突如株価が大暴落した。「経済力を元手にのし上がってきた市民階級にとって、この出来事は自分自身の来し方を否定されたに等しいものだった」。それまでの過去の貴族文化のコピーではない、「過去に潜む生命力を自分たちの生きる時代に解き放とうとした」世紀末文化あるいは世紀転換期文化と呼ばれる文化潮流が生まれた。『ばらの騎士』誕生の時代背景である。
 幕切れの直前、一人の少年が誰も居なくなった居酒屋に戻りテーブルから何かを摘み上げて立ち去る。オクタヴィアンとゾフィーの青春の歓喜もいつか必ず終焉し、この少年たちがそれを謳歌するときがくることを暗示し、時代環境がどう変わろうとも、人生の普遍の真実は変わらないことを知らせるのである。
 第3幕、何かが一件落着するごとに、管楽器の静かで甘い音色が響いてくる。酔わされた。なお、ゾフィーの侍女マリアンネを歌った森谷真理(ソプラノ)は、元帥夫人のカヴァーだったとのこと、いつの日か森谷真理の元帥夫人も聴いてみたいもの。急遽招聘され5月にドレスデンのゼンパー・オーパーで『蝶々夫人』のタイトルロールを歌ってから帰国、6/22(水)に紀尾井ホールにて「森谷真理ソプラノ・リサイタル」が催される。チケット購入済み、愉しみである。

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