地球温暖化論への懐疑は「部族主義」か

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 綿野恵太氏の『みんな政治でバカになる』(晶文社)は、題名からの印象を裏切って、人文ー社会科学関連のすぐれた読書案内に(結果として)なっている本である。読んで「政治でお利口になる」わけではなく、持続して「バカ」であることに自覚的であれ、と説いているのである。勘違いしてSNS上で著者に執拗に絡んだ人も存在したようだが、これは「政治」以前に「読解」でバカなのである。「郵便的誤配」はあるとして、勝手に要約すると以下の通りか。
◯人間の脳内の認知システムには二重の過程があり、経験や習慣に基づいて直観的な判断を下す「直観システム」と、言語的・意識的な推論を行なう「推論システム」の二つである。
◯(理念型的には)、「直観システム」の主体は「大衆」で、「推論システム」の主体は「市民」である。
◯この認知システムには「認知バイアス」=一定の間違いのパターン、例えば、自分に都合のよい情報・データだけ集めたり、自分の意見に合わせて情報・データを歪めてしまうなどの心理的カニズムがはたらくのであり、それは「直観システム」のみならず「推論システム」でも〈作動〉する。
◯現代の政治領域における問題・課題をめぐっては、高度に専門的知識と判断能力が求められるため、一つ一つの問題・課題に対して大衆は的確な判断と選択が難しくなっている。つまりそもそも前提として(環境上)バカであるほかはない! では市民として自由な討議を経て「共通了解」を形成し、公共空間を創設すればバカを克服できるのではないかといえば、それは無理筋。
◯インターネット空間では、「他者」と出会う機会は与えられず、価値観を共有する集団=部族へとバラバラに「集団分極化」が進行していて、「認知バイアス」にも促されて、いよいよ部族の信念・判断に従ってしまうので、共通の土俵じたいが存在し得ない。部族主義の成立。ポピュリズムはこの部族主義を利用して、大衆の「敵」を巧みにつくり出すことも可能。

 私たちには「自分に代わって所属集団にモノを考えてもらおうとする」傾向がある(アイデンティティ保護的認知)。部族で共有された信念をそのまま信じる傾向がある。「地球温暖化フェイクニュースだ」といった部族の信念に「エビデンス」を示しても、あまり効果が見込めない。部族の信念を捨てることは「コミュニティと決別すること」や「自らのアイデンティティを揺るがすことに等しい」からである。(p.203)

 著者は、162ページで「グレタ・トゥーンベリは子供という未来の他者として糾弾した」などと(U東大名誉教授の援護論を紹介して)ポエムも語っているから、地球温暖化とその対策に対する科学者からの「エビデンス」を示した懐疑について、「部族の信念」として「反ワクチン論」のように捉えているらしい。どうだろうか? 

 元米国イェール大学准教授斉藤淳氏のこの(脱成長論者のUについての)感想に共感する。グレタさんも含めて、資本主義の果実を十分に享受している立場(バラモン左翼・世田谷自然左翼)からの、反資本主義・脱成長論の環境論には注意したい。対処すべき優先順位としては、国内外の貧困の問題が最重要であろう。環境問題じたい(さらにマルクスも)が、出版資本にとって美味しい商品化の対象になっている昨今なのである。

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