フリードリッヒ・リスト『経済学の国民的体系』から

 
 詩人吉本隆明と評論家村上一郎の影響で、昔フリードリッヒ・リストの『経済学の国民的大系』(小林昇訳・岩波書店)は熟読したものである。保護主義的な現代の世界の動向を睨んで、いま書庫から取り出し、パラパラ捲ってかつて傍線を引いたところのみを読んでみた。そのなかから……。
◯わたしの提示する体系の、学派との特徴的な相違として、国民国家Nationalitätをあげる。個人と人類との中間項としての国民国家の本質の上に、わたしの全建築は基礎をおいている。( p.35 )
◯経済学は国際貿易にかんしてはその学説を経験から汲みとらなければならず、その方策を、現在の求めるところと個々の国民の固有の状態と考えあわせて行なわなければならない。しかもこの場合、将来と全人類との要求するところを見誤ってはならない。したがって、経済学は哲学Philosophiと政策politikと歴史Geschichteとの上に立脚する。( p.45 )
◯自由の友と代弁者とはおしなべて、どんな形式の自由をも擁護するのが自分の義務だと考えており、それだから自由貿易もまた、国内取引の自由と国際貿易の自由との区別をせずに一般受けがしているのだが、それにもかかわらず、この両者は本質と作用とからいって互いに天地の差を持っている。というのは、国内取引の制限は個人の自由と矛盾しないことはめったにないのに、外国貿易の場合には最高度の個人的自由が最高度の制限と両立できるからである。( p.77 )
◯こうしてオランダの実例が教えるところは、ベルギーやハンザ諸都市やイタリアの諸共和国の実例が教えるところと同じである。すなわち、私的産業は社会的状態が良好でなければ、国家なり地方なりの全体の商工業と富とを保持することができないのだということ、また個人は自分の生産諸力のきわめて大きい部分を国家の政治組織や国民の勢力から受けとっているのだということである。( pp.100~101 )
◯たしかにこの条約(※メスュエン条約)はポルトガル人に特権を授けた、しかしただ言葉のうえでの特権を。これに反してそれはイギリス人には実効のある特権を授けたのである。これと同じ意図が後代のイギリスのすべての通商条約の基礎によこたわっている。彼らはその言葉のうえではいつも世界主義者であり博愛家であったが、その目ざして行なうところではつねに独占者であった。( p.129 )
◯他国では、もとよりも高度の知的教養はむしろ物質的生産諸力の発展から生まれたのだが、これに対してドイツでは、物質的生産諸力の発展が、主として、それに先立つ知的教養から生まれているのである。( p.146 )
◯そしてあらゆる国民は、まえの諸世代の右の成果(※あらゆる発見、改良、完成、努力の堆積の結果)を受け入れてそれを自分の獲得したものでふやすことのできた程度に応じてのみ、生産的なのであり、また自分の領土の自然力、この領土の面積と地理的位置、自分の人口と政治的勢力が、その国民に、国境の内部のすべての生業をできるだけ完全かつ均衡的に発達させ、みずからの道徳的、知的、工業的、商業的、政治的影響を他の後進諸国民に、さらにひろく世界の諸問題にまでおよぼさせうる程度に応じてのみ、生産的なのである。
( p.204 )
◯保護政策が国民の富の増加にきわめて強力な効果を持つということは、工業力によってきわめて多くの自然資源と自然力とが生産的資本に変えられるという事情から、主として説明されなければならない。この福祉は、農産物貿易の制限の作用のように偽りの見せかけなのではない。それは現実である。農業国民が工業力の樹立によって息吹きをあたえ価値を持たせるものは、まったく死んでいる自然力であり、まったく無価値なままの自然資源なのである.
( p.279 )
◯諸民族はどんな政体のもとにあっても発達したことが知られはするけれども、それらが高度の経済的発展を遂げたことが知られるのはただ、その政治形態が高度の自由と勢力、恒久的な法律と政策、立派な諸制度を、確実に樹立した諸国の場合だけなのである。( p.389 )
◯権勢の頂点に達すると、そこへよじのぼるのに使ったはしごをうしろへ投げ捨てて、他人があとからのぼってくる手段をなくなすということは、ありふれた処世術である。ここに、アダム・スミスの世界主義的学説の、また彼の偉大な同時代人ウィリアム・ピットおよびその後継者たちのイギリスの国政上での世界主義的傾向の、秘密があるのだ。( p.422 )