洋泉社刊行の本(HP&ブログ過去記事)

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社会学橋爪大三郎東京工業大学教授の『永遠の吉本隆明』(洋泉社新書)の第1章で、吉本隆明氏は次のように位置づけられている。
……彼の外側には戦前の翼賛体制とか、「一億火の玉」だとか、伝統的でローカルなコミュニティの労働大衆とか、天皇主義とか、戦後にいたっては社会主義共産主義、その他さまざまなイデオロギーや、固定的な価値観とか、戦後知識人のいわゆるヒューマニズムとか、なんだかんだとかいう、人びとを誘い込むポケット(落とし穴)があるわけです。そのあいだに一筋の道があるとすると、彼はそこを、どのポケットにも落ち込まないでずっと歩いている。…
 その吉本隆明氏の近著『「ならずもの国家」異論』(光文社)でいちばん面白く読んだ〈異論〉は、現代ならずもの国家アメリカについての理解である。戦争となれば、敵を容赦なく徹底的に殲滅する国家の体質はまったく変わっていないとした上で、アメリカの感心すべきところを述べている。
……アメリカは民主主義というか自由主義というか、そうした思想が成熟していて本質的にかなり自由な国だといえます。ひとつのことを契機にして、みんながおなじ行動をとるということは絶対にない。ゆとりがあるかぎりは全然ちがうこと、戦争と関係ないことでもおおっぴらに行なうことができる国です。日本だったらたちまち国論が統一されて選択肢が何もなくなってしまうのに、アメリカではそれがそうならないというのは、戦争中も戦後もぼくが感心している点です。そこが日本とちがう大きなポイントになっています。……
 そしてその自由さとは、決して国家権力による強制のみならず、普遍性を仮装した正義の陣営による強制もあってはならないとする自由さなのである。阪神・淡路大震災の時、武器を持って神戸の市役所に抗議に押し掛けた知り合いの牧師さんのことを引き合いに出し、
……先の牧師さんとおなじで、日本人はラジカルなふるまいをすればするほど、ほかの人もじぶんに同調してくれ、じぶんの周りに集合してくれと、どうしてもそうなってしまう。ぼくはそれに大反対で、自分がラジカルであればあるほど、ほかの分野のことやほかの世界の人には、ゆったり・のんびりしてくれといえるようにならないとだめだとかんがています。…(略)…ラジカルな人ほど、ほかの分野の人に対してじぶんを押し付けがちです。そういう傾向がとても強い。これではアメリカと比べたらはじめから位負けしているようなものです。……

橋爪大三郎東京工業大学教授の『永遠の吉本隆明』(洋泉社新書)読了。口述筆記をまとめた新書本ながら現代日本の思想的・学問的課題を論じていて、そうかんたんに読み飛ばせるものではなかった。
 1、自己権力の統制から必然的に要請される国家権力を無化できるものなのか、2、共同幻想は必ず個体幻想および対幻想と逆立してしまうものなのか、3、〈アジア的〉なる概念は成立するのか、あるいは有効であるか、というとくに三点において、橋爪氏は、吉本隆明氏の仕事に疑義を提出するが、非西欧圏で「近代化」を強いられた国や地域に普遍的に生じる思想的問題を独力で解こうと考えつづけた「偉大で巨大な思想家」であると敬意を表している。おなじ社会学者の宮台真司氏の吉本論と重なって、その倫理的姿勢の一貫性を高く評価しているといえる。

……吉本さんの優れていた点は、大衆が刻々と変化し、その実態を変容させているという発想です。
 旧左翼や新左翼、革新勢力は、「後れて貧しく救済すべき大衆」という固定観念に縛られ、その思想としての根拠を掘り崩されていきました。いまでも、どこかに虐げられている人びとや抑圧されている人びとを見つけ、それを代弁することでしか発言できない知識人たちがよくいます。
 吉本さんの大衆論は、そういう愚かさの対極にある。いまでは当たり前と見えるが、非凡な発想なのです。そういう変化し続ける大衆の実態に忠実であろうとするところに、吉本さんの倫理性の核がある。……

 橋爪氏は、身体と言語と権力の三つの原理から客観的実在としての社会を押え、これらの諸関連を捉える社会学を、例えば大澤真幸社会学のような疎外論的構成をとらないで構想していて、それは、吉本隆明氏の思索から大いなる影響を受けているだろうと自ら述べている。吉本隆明氏と府立化工と東京工大の同窓で、その後社会学に進んだ安田三郎氏が、社会学の正統をジンメルの形式社会学に求め、社会の全体的記述に禁欲的であった姿勢とは異なるところである。ベネディクトの『菊と刀』を超えて読むに値する日本社会論を、日本社会学が未だ生み出していないのは確かな事実であろう。

……私が吉本隆明の名前を意識したのは、高校生のときだった。
 学校からの帰り道、友人たちと連れ立って、日暮里のとある古本屋に寄った。店の人が、「たったいま、吉本さんがみえていたんですよ」と耳打ちしてくれた。それを聞いた友人たちの興奮ぶり。そうか、吉本隆明という人は、それほど崇められていたのだ。……
 なるほど開成高生橋爪少年にとって、吉本隆明氏は、いわば現代の〈千駄木のメエトル(仏語:maitre=巨匠)〉として存在したのかも知れず、現在の氏にあっては、そのように過去形で位置づけられる人物であったわけなのか。(2004年3/21記)

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