オピニオンリーダーにおける〈一貫性〉


 戦時総力戦体制は、「日本が封建社会から脱却するとともに、資本主義の弱肉強食を克服するものとみえた」ためだろう、マルクス主義の学者も、大政翼賛会に賛同し、国家総動員法に賛成した。朝日新聞笠信太郎も共通の気分をもっていた。三木清の影響を受け、企業を職能組織として統制し、生産を拡大させる「協同主義の経済倫理」を提唱した。

 このためには資本家と労働者という対立を超え、すべて「社員」として協同体の有機的な一部になる必要がある。彼の『日本経済の再編成』(1939)は大政翼賛会の理論として44刷を重ね、数十万部のベストセラーになった。笠は「英米自由主義は世界の普遍的な原理にはなりえない」と批判し、それを超克する原理として国家社会主義を提案した。
 笠は革新官僚と交流が多く、これは戦時経済の教科書となったが、1940年に(摘発の危険を察知した緒方によって)海外特派員に派遣されて難を逃れた(企画院事件)。緒方や笠は狂信的な右翼ではなく、リベラルな社会民主主義者であったが、彼らが近衛新体制の支柱になった。新聞の支持に乗って軍部の発言力は強まり、革新官僚国家社会主義の経済体制を構築した。
 国家社会主義の教科書を書いた笠は1948年に帰国し、朝日新聞の論説主幹として全面講和や安保反対の論陣を張った。彼は戦前の著書をすべて絶版にし、戦後はそれについて何も語っていないが、軍国主義を支えたのは笠と革新官僚の立案した国家社会主義だった。戦前の日本と戦後の日本は、丸山が思っていたほど離れてはいなかったのだ。(p.221 )