『アステイオン(AΣTEION)』086号掲載、水島治郎千葉大学教授の論稿「民意がデモクラシーを脅かすとき」は、勉強になった。イタリア、スイス、オランダにおける昨今のポピュリズムの台頭について考察している。フランスの思想家ツヴェタン・トドロフの、ポピュリズムを「上」のエリートに対する「下」からの批判的な運動とする捉え方を紹介し、各国の場合を取りあげている。なるほど理解しやすい。
◯イタリアの場合:対等な上下両院の存在によって、法案審議の遅滞や政権の不安定を招いたことなど、しばしば批判の的とされてきた戦後政治の歴史があった。2014年39歳で就任した若きレンツィ首相は、上院の定数を削減し、その権限を大幅に縮小する憲法改正案を2016年に提示し国民投票に諮ったところ、大差で否決されてしまったのである。五つ星運動や北部同盟などポピュリズム系諸党が反対に回っての結果から、「ポピュリズムの勝利」と捉える見方もある。しかし、政治エリート間の責任のたらい回し、非効率な意思決定、改革の遅れなどの諸問題を抜本的に解決しようとした改革案が流産してしまった事実がある。
◯スイスの場合:1986年設立のポピュリズム系民間団体AUNS(スイスの独立と中立のための行動)は、1992年EEA(欧州経済領域)加盟をめぐる国民投票で加盟反対の運動を大規模に展開し、否決に追い込むことに成功して以降、主要政党の大半が賛成する重要政策に、正面から否を突きつけている。そしてAUNSの隆盛と軌を一にして存在感を高めてきた国民党が、AUNSのリーダーが党を掌握した1990年代以降、既成政治を批判し、EUや国際組織への加盟に反対し、イスラム移民の排除を訴えている。ミナレット(イスラム寺院の尖塔)の禁止、一定の犯罪を犯した外国人の自動的な国外追放処分の導入、外国人の流入制限を目的とした割当制の導入など、国民党(あるいは議員)主導の国民発案は、いずれも国民投票で可決されている。
◯オランダの場合:移民・難民に相対的に「寛容」な政策がとられ、多文化主義に基づく移民統合が進められてきたが、1990年代には移民と犯罪、貧困が関連づけて語られるようになった。フォルタイン党が徹底した既成政党批判とイスラム移民排除の訴えで躍進したが、フォルタインが射殺されて解党、その後を継承し、ポピュリズムの指導者として頭角を現したのが、ウィルデルス。ウィルデルスは、2005年、ヨーロッパ憲法条約をヨーロッパレベルでのエリート支配を強めるものと位置づけ、しかもトルコのEU加盟に道を開くものとして全面的に批判、最左派の社会党も反対運動に積極的に参加し、議会レベルにおいては圧倒的に賛成の多かったヨーロッパ憲法条約を否決に導いたのであった。2006年、ウィルデルスは自由党を設立、「イスラム化という津波」を防ぎ、「真の自由」を訴える自由党は以降勢力の拡大が続いている。近年はフランス・国民戦線のマリーヌ・ルペンなど、各国のポピュリズム政党と協力しつつ反EUキャンペーンに力を注いでいるとのことである。
……このように近年のヨーロッパでは、既成政党や団体の弱体化が進む一方、既成政党が左右を問わず推進するヨーロッパ統合やグローバル化路線に対し、市民レベルの違和感が強まっている。そもそも二〇世紀のヨーロッパ政治で主役を演じていた、左右の既成政党、そして政党を支えてきた労働組合、職業団体、信徒団体などの既成団体は、二一世紀に入って軒並み組織率や活動頻度の低下に悩まされており、人々の「代表」としての地位が揺らいでいる。人々が職業や階層、宗教に応じて団体に加入し、その団体が支持する政党に投票するという二〇世紀型の政治モデルは、今や有効性を大きく減じている。ポピュリズム政党はまさにその間隙を衝き、自らを「民意」の代弁者として位置づけたうえで、住民投票や国民投票といった直接民主主義的な手法を積極的に活用し、既成政治やEUへの批判を展開する。……( p.25 )