チェーホフ劇とコロス

 演出家鈴木忠志氏と、西洋演劇のみならず歌舞伎・能にも通じている哲学者中村雄二郎氏との対話本『劇的言語』(白水社:1977年初版)に、ギリシア悲劇のコロスと近代・現代演劇との関係をめぐってインテルメッツォ風に論じているところがある。中村雄二郎氏が、「近代劇の衰退というのは、内面のコロスまで失ってしまった末期症状として捉えられるんじゃないかな」と述べると、
鈴木:近代劇でもチェーホフの場合などは、全員がコロスであるという構造ですね。
中村:そのとおり。たしかにチェーホフの芝居にはそういうところがある。
鈴木:全員がコロスで、それが奏でるシンフォニーの全体をチェーホフは狙っている。無関係の関係が一つの全体を形づくっている。登場人物の言葉を個別に際立たせつつ、全体としてはコロスが黙って座っているだけで出てくるような印象へと持っていった。うんとおしゃべりをしつつ結果としては沈黙の言語と言える一点に収斂させたという意味では、チェーホフ劇の登場人物はすべてコロスですね。
中村:ギリシア悲劇のコロスの歌や語りと違うけれども、その後の西欧の正統のドラマのヒーローたちの台詞と違う。チェーホフの登場人物がしゃべるのは無意味な饒舌でしょう。潜在意識に近い層の言葉、つまり普通のコミュニケーションの言葉じゃないわけだ。しかし最近では、コロスを外側に表わさないと、コロス的なもの—ある意味では個人を越えたものとか、登場人物に対する批評とかいったもの—が表わせないという考え方が出てきて、コロスばやりの傾向もあるね。……(pp.96~97)
 この8月の7日(金)〜9日(日)に、鹿島将介さん主宰の劇団重力/Noteが、2008年『かもめ』上演以来、約7年ぶりにチェーホフ劇『イワーノフ』を上演するとのこと。さっそく予約。
 http://www.jyuuryoku-note.com/(「重力/Note」)



※フジテレビの食べ歩き番組で紹介されていた、台東区西浅草のどじょうの飯田屋の先代(先々代?)は、中村雄二郎氏と区立金龍小学校の同級生とのこと。