印鑑遠からず:三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』(講談社)を読む(その2)

 相続手続きで、印鑑登録証明書および実印が必要になり、印鑑登録証をなんとか発見、印鑑登録証明書は役所で入手できたものの、肝心の実印が見つからず焦った。なんと最近まで寝ていた部屋の衣装箱の最下段ケースに納まっていた。「殷鑑遠からず」ならぬ印鑑遠からずとは。顧みれば、人生はゴドーを「待ちながら」ではなく、「探しながら」ではないのか。
 さて三浦雅士氏の『孤独の発明』(講談社)で、漢字・漢語形成の考古学的考察について紹介している。面白い。「漢字の起源は白川(※白川静)が解読、解釈した殷墟の甲骨文字ではありえない、中国南方沿岸部に別にあるとしか考えられない」との、歴史言語学者松本克己氏の説をとり上げている。

 中国を旅行したことのあるものなら誰しも実感することと思うが、文明の発祥の地として黄河だけが問題にされ、長江、それもとりわけ下流域にかんして実に長いあいだほとんど蛮地扱いされてきたのは不思議としかいいようがない。気候においても地形においても、長江流域のほうが黄河流域よりもはるかに豊かな印象を与えるからである。松本の説はその不思議、その謎に一つの解答を与えている。要するに、華北が江南を征服したというのだ。遊牧民の「羊ヘン」が農耕民の「貝ヘン」を制服したというのである。
 それでは長江文明の担い手は果たして誰だったのか。松本は「もちろん「漢民族」ではない」と述べている。「漢語、漢民族が成立したのはどんなに古くとも今から4000年以上前には遡らないと見られるからである。とすれば、その担い手は前述の「東夷」また後に「南蛮」と呼ばれて中国周辺部へと押しやられた先住民族、すなわち、我々の最大の関心事となってきた太平洋沿岸型諸言語を話す集団にほかならない」。(p.49)

※漢字で財貨や商活動などを表す文字は「貝」の字が基盤となっているが、この貝は子安貝宝貝)のことであり、「殷・周時代の中国への財宝としての子安貝を供給していたのが琉球の地にほかならなかった」。
※漢字には遊牧民にとって最も重要な「羊」をかたどった文字も多く見出される―美、善、義、祥、養など―ことに注目し、「羊ヘン」の文字は「いわば支配者の観念的イデオロギーの世界を示している」とし、松本克己説では「漢語の雑種性は、沿岸型言語を基層とし、その上に結果的に支配者となった内陸遊牧民の言語が重なって形成されたところにあると、これも断定している」。