正義論と「暫定協定」

 このところの中東地域をめぐる緊迫した世界の政治情勢を想うとき、『日本経済新聞』(2004年9/30号・「経済教室」)に、ジョン・グレイ=ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授が、「石油巡り世界分裂の恐れ」と題して寄稿した論考をあらためて読み返す。イスラム諸国に、世界の天然ガスと石油の大半が埋蔵している運命のいたずらによって、「イスラム世界がさらに分裂し、先進工業国が団結を強め」、「誤った米国の政策とアルカイダの活発化が結びつき、世界がイスラム教徒と非イスラム教徒諸国に分断されてしまう危険がある」と警告している。中国とインドの工業化が進み石油エネルギーへの依存度がいよいよ高まる予測から、教授の見通しは悲観的である。こう結んでいる。
……環境保護派は成長の限界を受け入れる社会を思い描いている。人類が地球の資源を浪費せず、持続可能な方法で生活する世界である。これは魅力的な夢だが炭化水素時代が静かに幕を閉じることはなそうだ。二十世紀に始まった石油支配を巡る紛争が繰り返される可能性が高い。ただし、これまでより規模が大きい、手に負えない非正規型の戦争(注・テロに依存した戦い方)になるだろう。……
 このグレイのリベラリズムについての見解を、法哲学者の井上達夫東京大学教授が批判している(岩波『思想』2004年9月号・「リベラリズムの再定義」)。グレイによれば、この価値多元的社会においては、善き生についての誰もが納得できる構想が設定できない以上、それを哲学的根拠にした公共的な「正義の優位」は成り立たない。彼は、互いに通約不可能な価値の相克が「理性的合意」を不可能にするのであるから、共存を求める人々に唯一可能な方途である社会的対立の政治的調停実践として、「暫定協定」を探究することを主張している。
 リベラリズムの基底的価値を、これまでの「自己力能化」を核とする自由にではなく、「異質な他者との共生の条件としての正義」に求める点で、井上氏は、グレイに共鳴を覚えながらも、啓蒙的理性の批判的自己吟味ヘの評価と、それを「強いる」哲学的原理の存在の確信を説いて論駁している。
……正義の諸構想の分裂対立はかかる諸構想がそれについての競合する解釈である共通の正義概念の存在をむしろ前提しており、しかもこの共通の正義概念は単なる空虚公式ではなく、普遍化不可能な差別の排除を要請する普遍主義的要請である。これは自己と他者の地位のみならず自他の視点を反転させたとしてもなお承認しうべき理由による正当化可能性の吟味の責務を自他双方に課す公共的正当化要請を含意し、啓蒙の正の遺産たる批判的自己吟味を、「他者に対する公正さ」の責務として規範的に要請するものである。……(同誌)
 グレイの「暫定協定」は、「正義の基底性」による政治的決定の公共的正当化を求めず、政治的交渉力をもつ主体の間の勢力・利害の均衡点において成立する戦略的妥協にすぎない。この当事者から排除された人々に対して、なんら公共的正当化可能性を保証し得ないとするのである。
 しかしこちらの素人考えであるが、いまのところ「暫定協定」でとりあえずの秩序をその都度形成・維持するほかないのではないか。