墓田桂『難民問題』(中公新書)を読む


 墓田桂成蹊大学教授の『難民問題』(中公新書)は、「善意の上限」をコンセプトに、「寛容」や「多様性」などの美しい言葉のみでは、「難民問題」を理解、またそれに対応できない国際社会の歴史と現状を、事例を紹介しながら解説している。勉強になる。終章含め全6章から構成され、第5章では、日本の難民対策の現状と将来へ向けての提言を述べていて、この問題がEUなど遠いところの問題では済まないことを知らされた。なお著者は、外務省勤務を経て現職にあり、アテネオ・デ・マニラ大学、オックスフォード大学のそれぞれ客員研究員、法務省難民審査参与員を歴任している。迂闊にも名前からして女性研究者かと思い読み進めたが、「あとがき」に「いろいろと意見交換をすることとなった妻にもお礼を言いたい」とあって驚いた。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20161006/1475722723(「難民問題関連用語:2016年10/6 」)
◯根本問題の解決ばかりか、すでに見たとおり難民の受け入れにおいても課題は存在する。
 どの人間にも他者を思いやる気持ちがある。その総意として国家レベルでの難民の受け入れが実現してきた。しかし、社会の安寧や限られた財産といった問題を考えたとき、国民が示せる善意には限界が生じる。善意の上限を意識せずには、いかなる難民政策も現実的なものとはなりえない。その点を見誤ったところにEUの苦悩がある。(p.223 )
◯なお、条約難民の地位を認めない場合でも、申請者に何らかの保護を与え、在留を認める場合がある。これは一般的に「補完的保護(subsidiary protection )」と呼ばれる。
 制度の説明の締めくくりとして、「ノン・ルフォールマン(non-refoulement )」と呼ばれる原則にふれたい。「追放する」「送還する」を意味するフランス語refoulerから来ている言葉で、「追放や送還をしないこと」を意味する。難民条約では、難民の生命や自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境に追放したり、送還したりすることは禁止されている(条約第33条1項)。難民と難民申請者の安全を担保するうえで重要な原則とされている。(p.25 )
◯シリア国内での戦闘から逃れてトルコに向かったシリアの国内避難民が、トルコ国境の手前でトルコから入国を拒まれる事態が起きている。ヨルダン国境の手前でもシリア人が足止めに遭った。この対応には批判もあるが、トルコとヨルダンにしてみれば、これ以上の難民の流入は抑えたいところだろう。(p.78 )
◯非正規移動者の大量(※7万人)移動はリゴンツェ村(※人口176人のスロヴェニア共和国の村)民にとっても未曾有の危機である。難民問題を論じる際、とかく支援者は難民中心主義(refugee-centrism )に陥りやすいが、リゴンツェ村のように地元社会が経験する困難は決して軽んじてはならない。(p.107 ) 
◯港(※ピレウス港)の別なところにはギリシャ人の路上生活者たちもいたが、難民支援に携わるNGOからは見放されたようだった。ここ数日、食事をしていないという中年男性もいた。別の場所では、かつて日本に住んでいたという初老の男性が物乞いをしていた。ギリシャ人の生活困窮者と収容施設の人々との格差を物語る場面がいくつかあった。こうした構図は難民支援の周辺で生まれやすい。むろん非正規移動者はこれを理由に責められるべきではない。(p.110 )
◯「シェンゲン(Schengen )協定」が1985年6月にルクセンブルクのシェンゲンで結ばれた。当時の欧州共同体(EC)、現在のEU域内での人の移動の自由化を目指した協定である。また、EU域内での難民認定の申請の共通化を図るべく、1990年6月のダブリン条約を起点として、2003年2月に「ダブリン規則(規則第343号)」がEU理事会によって定められた(EU理事会はEUの主要な決定機関で、これが採択する「規則」には法的拘束力がある)。2013年6月にはその改訂版(規則第604号)が示された。
 人の移動の自由化と国境管理の撤廃、そして難民申請手続きの共通化のいずれも欧州統合の成果だった。しかし、これらの蓄積は2015年の一連の出来事によって見直しを余儀なくされた。(p.118 )
◯非正規移動者の流入EU諸国が混乱するなかで、EUの求心力のみならず、欧州統合を牽引してきたドイツの指導力も低下した。大国ドイツへの根深い警戒心はこの国が進めようとした積極的な難民政策によって増幅してしまう。その一方で、国家主権に重きを置く東欧・中欧諸国は、非正規移動者の問題でも自国の立場を隠さなくなった。EU懐疑派の勢いはやまず、統合の推進どころか、EUの衰退さえも危惧されている。EUを維持するとしても、「統合推進」か「主権重視」かに分かれる加盟国間での路線の違いは深刻である。(pp.126~127 )
キリスト教徒の難民は、EU諸国にとって受け入れやすいとしても、世界全体から見れば少数である。イスラム圏の混乱で生じるのはイスラム教徒の難民である。現代の難民問題は、イスラム教徒を受け入れるか否かを必然的に問うことになる。(p.144 )
トルコ人クルド人が渋谷の街で喧嘩する時代である。混乱に見舞われる中東やイスラム圏の構図を好んで日本に導入する必要はない。さまざまな負の側面を直視すれば、難民の受け入れは軽々しく唱えられるものではなく、慎重に判断していくべき課題である。(p.190 )
◯ある国においては国家分裂という遠心力が働き、国家の虚構性は覆いつくせないものとなる。新しい秩序がそこから生まれようとするが、保守的な国際社会は容易に認めようとはしない。ところが別の国においては国家に対する求心力が働く。この両極端の動きが21世紀初頭の世界で著しい。一見したところ矛盾するこれらの現象だが、「共同体意識の明確化」と言う点で矛盾はない。(p.214 )
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110722/1311337308(「中世としての現代:2011年7/22 」)