統計数値の扱い

天皇賞・秋」の馬券は、みごとに外してしまった。この秋のGⅠレースは、「秋華賞」のみ的中で、いまのところ1勝3敗の成績。快進撃だった昨年の実績「統計」と比べると寂しい限り、暮れの「有馬記念」にむけて態勢を立て直したい。
 ところでこの統計数値というのはなかなかやっかいで、取り扱いには慎重さが必要である。当然のことながら昨今エビデンスにもとづく論議・考察が求められつつあるが、数字を単純に比較するだけでは正確な捉え方にはならない。
 日本とアメリカでは国民1人当たりの弁護士数に大きな隔たりがあるとされ、「訴訟社会」への移行の展望も後押ししてか弁護士数の大幅な増員(新司法試験合格者数の最終目標値3000人)が企てられいまに至っているが、メディアの伝えるところでは現在の合格者数2000名ほどでも、試験合格で弁護士志望者の法律事務所への就職は困難となり、供給超過傾向になっているのである。
 周知のように、アメリカにおいては、弁護士(lawyer)は、日本の行政書士司法書士・税理士の職掌を含めているのであって、それぞれが別で独立の職掌である日本とは同じ扱いはできないし、何でも訴訟の案件にしてしまうアメリカ型の文化・社会に移行などしていない。裁判員制度は、いまさらチャラにはできないだろうが、こちらの数値目標は下げたほうがよいだろう。(志あるロースクール生には、どうであれ頑張ってほしい。)
 ついでに司法制度をめぐって、日本の裁判での有罪率の圧倒的高さ(99%)についても、欧米諸国の司法制度(アメリカの陪審員制など)との背景、あるいは手続きの違いを考慮せずに議論してはならないことにも留意したい。そもそも送検された被疑者が起訴される率は国際的に低く、有罪件数を逮捕件数で割ると国際的な平均水準に近い数字になるそうだ。WOWOW放映中のドラマ『CSIマイアミ』や『コールドケース』を観ていると、アメリカの司法取引の一端などわかるときがあって、参考になる。 
 原田泰大和総研チーフエコノミストの『日本はなぜ貧しい人が多いのか』(新潮選書)は、「巷に流布している」さまざまな〈事実認識〉の誤りを、正しい統計数値の提示と読み取りによって指摘していて、スリリングである。経済政策としての提言がどこまで妥当なのかは、素人にはよくわかりかねるが、興味深く読める。経済の問題を文学の領域と混同したり、感傷と私憤で論じてはならぬことを学べる。とくに第2章の「格差の何が問題なのか」のところは、問題の本質を共通認識する上で重要である。
 日本は、不平等度の指標であるいわゆる「ジニ係数」の比較においては、フランスあたりと同位であるが、相対的貧困率が高いのだそうだ。
……だが、日本にはジニ係数に比べて相対的貧困率が高いという問題がある。相対的貧困率とは、所得が低い人から高い人を並べてちょうど真ん中にある人の所得(中位所得)の半分以下の所得しかない人の比率である。一方、ジニ係数とは所得がまったく平等に分配されていたときに比べて、どれだけ不平等に分配されているかという指標で、まったく平等ならゼロ、1人の人にすべてが分配されていれば1になる。このような指標の性格からして、下が低くても上が高くても指標は大きくなる。一方、相対的貧困率は、貧しい人が多いか少ないかの指標である。……
 いろいろある格差の中で、原田氏は、「将来的に日本全体の格差を長期にわたって拡大することになるだろう」若者の格差がとくに重要であるとしているのは卓見である。センチメンタリズムに堕ちず、現代経済学の知見を踏まえた有効な処方箋を望みたい。
 http://agora-web.jp/archives/1398696.html(「格差の見えにくい国ニッポン」) 

新潮選書 日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学

新潮選書 日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の(黄色)アルテルナンテラ(Alternanthera:アキランサス)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆